宗教を学ばなければ何の理解も深まらない
政教分離への考えは国家によって、まちまちだ。フランスは最も厳格な政教分離(ライシテ)を敷く国家として知られており、わが国同様に公教育の中では宗教色を一切排している。信仰の自由と平等を徹底しているのだ。フランスの学校では、十字架のネックレスやイスラムの女性が被るスカーフの着用が禁止されているほどだ。
しかし、フランスの場合、「米国流」を倣った日本とは違う。それはフランス革命に端を発する。カトリック教会による支配体制から、市民が自由を勝ち取った結実としての政教分離なのだ。
英国では政教分離政策は敷いているものの、公立学校で宗教の科目が必修となっている。子どもに宗教教育を通じて多文化共生への理解を深めさせ、真の国際人を育てることが目的だ。英国の調査会社サバンタが2000人を対象にアンケートを実施したところ、64%が「今日の学校のカリキュラムに宗教教育が含まれていることが重要だ」と答えている。
ドイツに至っては、連邦基本法において「宗教教育は、無宗派学校を除く公立学校において正規の教科科目である」と定めている。その背景には、ドイツにおける、さまざまな信仰をもつ移民の多さ(総人口のおよそ2割)がある。
生徒は、カトリックやプロテスタント、イスラムなどの履修科目を選ぶことができる(州によって異なる)一方で、履修をしない権利もある。そこにはドイツ社会が宗教的多元性に対応しようとする意思が感じられる。
日本は元来、宗教が深く生活に根ざしている国家だ。歴史や文化、政治や経済、もっといえば科学も、宗教を学ばなければ理解は深まらない。公教育の中に、宗教の授業を取り入れないことのほうが「不自然」といえるが、いかがだろう。