信長の墓
次に織田信長の墓はどうか。大河ドラマでは、家康にとって脅威でもあり、兄のように慕う存在として描かれている。その信長は明智光秀に本能寺で暗殺され、遺骸は発見されていないとされている。では墓はないのか? 否、信長の墓は全国に少なくとも15カ所以上もあるのだ。数の上では家康を凌駕する。
私は過日、富山の名刹、瑞龍寺に赴いたが、その境内地の片隅にも織田信長の墓を見つけた。石造りの廟の中に、宝篋印塔と呼ばれるタイプの石塔が納められている。脇には信長の戒名「総見院殿泰巌浄安大居士」が掲げられていた。家康の墓標に比べてかなり質素だ。ここには信長の遺骨が分骨されているというが、実際のところは定かではない。石廟は信長の他にも、息子の信忠や前田利家ら5基が並んでいる。いずれも富山県指定文化財になっている。
信長の墓は暗殺された本能寺にもある。しかし、なかでも信憑性が高いとされているのが京都・寺町通りにある阿弥陀寺(浄土宗)だ。阿弥陀寺の規模はさほど大きくはなく、一般的な檀家寺である。
なぜ阿弥陀寺に信長の墓があるかといえば、開創の清玉上人が織田家と親交があったことに由来する。清玉上人は本能寺の変後、本能寺に駆けつけ、信長と信忠父子、さらに森蘭丸などの腹心の遺骸を見つけて自坊に埋葬したと伝えられている。
その墓は実に質素で、看板がなければ通り過ぎてしまうほどである。だが、卒塔婆や生花がたくさん立てられ、いまなお、多くのファンたちによって愛されていることがわかる。墓こそ、武将の偉業を今に伝える最大の遺物だと思った。