※本稿は、『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
助けを求めなくても助けてもらえる立場
【澁谷】平山さんは、ある論考(※)で、「弱音を吐けない男らしさ」に縛られ、助けを求めることができない男たちについて、なぜ「絶滅せずに生き抜くことができたのか」という問いを発しています。どうして「生き抜くことができたのか」、教えていただけますでしょうか。
※「「男ゆえの困難」の何が問題か」、信田さよ子編著『女性の生きづらさ その痛みを語る』(日本評論社、2020年)所収
【平山】ひと言で言ってしまうと、助けを求めなくても、助けてもらえる立場にあるからです。身の回りのことをやってもらったり、気を遣ってもらったりといったことも含め、有形無形の支えのことを、ソーシャル・サポートと言いますが、このソーシャル・サポートは、健康状態や寿命の長さと関連していることがわかっています。
男性は一般的に、ソーシャル・サポートを得られるような私的な関係が少なくて、だから健康も害しやすいし短命になると言われていますが、配偶者の有無で、これは変わります。健康を害しやすく短命になりやすいのは、女性のパートナーがいない男性です。
逆に言えば、女性のパートナーがいる男性は、サポート源がそう多くないにもかかわらず、健康が守られている。なぜなら、性別分業的な家族の制度のもとでは、男性はサポート源を得ようと努力しなくても、制度的にサポートを提供してもらえるご身分にあるからです。そういう制度のもとでは、女性は男性を下支えする役回り、お世話係となることが標準になっていますから。そして、そのおかげで、男性は生き延びてこられた。実際、独身者が増えているとはいえ、男性の4分の3以上は、いまだに既婚ですから。
妻のサポートを得られるのは男性の特権
【澁谷】平山さんはこの論考で、女性にケアをしてもらいたいなら、懇願すればいいじゃないかと書かれていました。
【平山】ところが実際には、相手が自分のサポートを引き受けてくれるような、そういう関係を努力してつくろうとするわけでもない。むしろ、男性ひとりにつき、お世話係をひとりあてがってくれるような制度を切望する男性も一部いるわけです。
たとえば、一部の男性は、女性の経済状態がよくなることに反感を持っていますが、その反感はそういう切望と同根だと思います。男性のほうが経済的な資源にアクセスしやすく、女性は男性とつがわない限り、生存と生活が難しくなるような状況が崩れれば、「男性であること」だけで自分についてきてくれる女性は減ります。制度的にあてがわれていたはずのお世話係の女たちが、男の自分から離れて生きる自由を手に入れてしまうと、男性は女性のサポートを得るために、今後もっともっと気を遣い、努力せざるをえなくなるでしょう。一部の男性が正規雇用の女性に反感を持つ背景には、そうした心理があると思います。
【澁谷】なんとも卑怯な心理ですね。自分が女性に頭を下げたくないがために、女性が資源にアクセスすることを嫌うというのは。