イクメンという言葉が使われるようになって久しい。しかし、実際には家事育児の負担は女性に重く偏ったままだ。社会学者の平山亮さんは「イクメンって、これまで女性に押しつけられてきたケア責任としての子育てを、男性が積極的に担うということですから、男性に変化が起きているように見えるんですね。それによって、実は全然変わっていない男女間の不平等を、見えなくしてしまう効果があると思うんです」という。同じく社会学者の澁谷知美さん、ライターの清田隆之さんとの鼎談をお届けしよう――。

※本稿は、『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

上向きの矢を持つビジネスマンの拳
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男性が暴力的なのはそう期待されているからなのか

【澁谷】平山さんはある論考(※)で、男性が暴力的に振る舞ってしまうのは、攻撃的になるように男性が期待されているからだという、よくある言い方に対して、「男性性は本当に男性の行為の原因になっているのだろうか」と疑義を呈されています。なぜ、疑義を呈されたのか、説明していただけますでしょうか。

※平山亮「「男性性による抑圧」と「男性性からの解放」で終わらない男性性研究へ」日本女性学会『女性学』27巻

【平山】ここでいう「男性性」は「男性性役割」とほとんど同じ意味ですね。つまり、男性たちがそれを学ぶことで、男性に共通した行動パターンを生み出す、「男とはふつうどういうものか」という規範のことです。ただ、こういう性役割論には問題もあるんです。この見方は、男性特有の行動パターンがあることを前提とし、どうしてそういうものがあるのか、その原因として性役割を持ってきている。でも、そういう男性特有の行動パターンの存在自体が疑われてもきました。

たとえば、男性は「自分が上に立ちたい」という志向を身につけさせられてきた、と言われます。そして、男性たちが互いに張り合う姿を見て、ああ、「たしかに男性はそういう志向を持っている」と確信したりもする。でも一方で私たちは、女性たちが張り合う姿もよく知っているはずなんです。何度かテレビドラマになった「大奥」なんて、まさにそうでしょう。じゃあ、私たちは「大奥」の女性たちを、「男らしい」行動パターンを身に着けた「女性らしからぬ」女性だと思っているのか。むしろ逆でしょう。あれは時代劇ですが、彼女たちの姿を見て「今の女の世界だってこういうことあるよね」と、要するに「女あるある」だと思って見ているのではないですか。

「男あるある」「女あるある」を信じるな

【平山】何を言いたいかというと、私たちが誰かの行動を認識するときには、その人の性別をセットにして認識してしまっているということです。男(に見える人)たちが張り合っている姿を見れば、自分が上に立ちたい「男あるある」な行動だと思い、女(に見える人)たちが張り合っている姿を見れば、女の世界特有の「女あるある」な行動として見る。実質的には同じ行動をとっていても、その人が属すると思われる性別にあわせ、まったく別の行動のように見てしまう。そして、こう確信してしまうんです。「男には男の、女には女の、特有の行動パターンがある」と。

こういう行動パターンの性差を所与の前提とした上で、その「原因」として考えられてきたのが性役割です。でも、その前提自体があやしくなってきた。むしろ問うべきは、そういう「男性特有の何かがある」というリアリティのつくられ方のほうではないか、と。

暴力の話に戻ると、構造的な優位にあれば、劣位の者を抑圧したり蹂躙したりする人は、性別にかかわらず一定程度あらわれる。まずそこを直視しないと、どうやって暴力を防ぐかの分析は、うまくいかないように思います。