※本稿は、桑野信義『がんばろうとしない生き方 大腸がんになって見つけた笑顔でいる秘訣』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
「ステージに立つ」を目標に治療中止を決断
オレは抗がん剤治療について何かを言える立場ではありません。実際に抗がん剤治療のおかげでうまく手術できた面もあるし、逆に抗がん剤治療を止めたことで早く復帰ができたと思っています。自分の医師たちとよく話し合って、3カ月後にみんなの前でステージに立つという目標のために中止を決断しました。
もし誰かの気持ちが楽になるならと思って包み隠さず書いたから、よかったら読んでください。けど、あくまでオレの場合の話です。いま闘病中の方は自分のお医者さんの意見をよく聞いてください。
2021年4月からのツアーには同行しないと決めたあと、病院で「これからどうするか」を話し合いました。それが3月8日のことです。
結果的には抗がん剤治療を再開することになったんですが、先に人工肛門をとる手術を行う選択肢もあることはあったんです。
だけど、「抗がん剤治療を行っているあいだは手術ができず、抗がん剤治療はあまり、あいだを空けずに再開したほうがいい」ということから、手術より抗がん剤治療の再開を優先したんです。
そのために入院したのが3月16日でした。
翌日、ステロイドとオキサリプラチンを点滴して退院。夜からはゼローダを服用するようになるという段取りはそれまでと変わりませんでした。
ですが……。
「副作用がすごく強くて、ビックリしてる」
その翌日、マネージャーに対して、「副作用がすごく強くて、ビックリしてる」とLINEをしています。
その後は闘病記録ノートにもずっと「絶不調」、「体調不良」という記述が続くことになりました。この不調はまったく予想していないレベルのものだったんです。
オキサリプラチンを点滴した直後から異変は起きていました。
それまでよりもずっと手が冷たくなってしまい、強烈なしびれが出てきたので、熱いタオルで温める応急処置をしてもらっていたんです。
抗がん剤の点滴を打つと血管が硬くなるんですが、このときは「本当にオレの血管なの⁉」ってくらいの違和感がありました。
そのため、退院する際には先生も「次のセットは点滴をやめてゼローダの服用だけにして様子を見てみましょうか」と言っていたくらいだったんです。
帰宅後も不調が続いていたなか、23日にはテレビ用のちょっとした撮影がありました。朝の情報番組で、がんについて話すことになったんです。大腸がんだったことを公表するのに合わせた企画でした。
「がんだとわかり、治療を始めた頃は本当にきつかった」という話をしたんだけど、実際はこのときのほうがもっときつかった。