「あきらめず伝える」ことが「聞く力」につながる
以上が私の「親への要望の伝え方」です。
すごく大げさ、と感じる方もいると思いますが、私はこの回りくどいやり方によって、「自分が納得できるところまでやってみる」ということがものすごく重要だと思っています。
自分が40代になってみて実感するのは、年をとるごとに、いろんな面で立場や力が親より強くなってしまうってことです。
だけどやっぱり親は絶対的な存在で、傷つけたりむげに扱ったりするのは罪悪感があるし、強く言って傷つけたり悲しませたりするのはつらい。
でも、話が通じないことに耐えられない時もある。
そんな人たちに、世の中はこう言います
「この年までこれで生きてきた人に、今更『変われ』って言ったって無理」
「あきらめて流すしかないよ」
「こっちが折れるしかない」
「あきらめて流すしかないよ」
「こっちが折れるしかない」
これは「親を変化させる」を前提にした対処方法です。
親はそりゃあ、変わらないです。でも、変わらないからとあきらめることで、子どもの自分が変わる必要もなくなってしまいます。つまりそれはどういうことかというと、自分もゆくゆく、そういう親になる、ということです。
そして子どもに要望を何も言ってもらえず、一方的にあきらめられる。
「親子なんてそんなもんでしょ、それでいいじゃない」という気持ちが私にも少しはあります。親が元気だからそんなこと言ってられるんだ、という自覚もあります。
でも、私が重要視するのは「親が変わること」ではなくて、「自分が納得できるかどうか」なんです。ちゃんと自分の要望を自分で理解して伝え、拒絶されたとしても、先に覚悟をしっかりしていることで、伝えるという行為はした、という納得ができます。
その上の世代にしっかり言ったぞ、という納得感は、いつか下の世代から何かを言われた時、薄っすらとであっても「聞く力」になるはずだと思うからです。