3年生は多難な1年だった。
まずは右膝の故障に苦しめられる。10月の出雲駅伝(全日本大学選抜駅伝競走)は欠場、11月の全日本大学駅伝対抗選手権でも区間4位と振るわなかった。
故障に加え、気持ち的なものもあった。柏原は経済学部の学生であるが、学部は都内の白山キャンパスにある。鶴ヶ島から電車通学していたが、授業はきちんと出る学生だった。競技者である前にまず一学生でありたいと思ってきたからだ。
部活動は早朝と夕方の2度。通学の時間帯は朝練後の貴重な睡眠時間でもあるのだが、車中で、柏原さん、と声をかけられる。揺り動かされて起こされるときもあった。街中を歩いていても常に人の視線がある。3年生となると随分と顔が知られるようになっていた。知り合いに声をかけられるのは一向にかまわないのであるが、見知らぬ人に踏み込まれるのは苦手であった。
さらに、チームメートとの関係がしっくりいかない。エースランナーとは、頼られる存在である。過剰に頼られるとつい、「おまえさんたちも頑張れよ、人に頼んなよ」と思ってしまう。
それやこれや、いろいろとあったが、箱根駅伝の前には立ち直っていた。チームメートは自分の復活を待っていてくれた。「5区はおまえしかいない」と言われると、ここで踏ん張らないと男じゃないとも思った。