起こった出来事が本当に不幸かはわからない

不幸な出来事と書きましたが、起こった出来事が本当に不幸なのかどうかは、少なくともその時点ではわかりません。

これから人生を共にしようと思える人と出会うことなく、一人で生き、最後には孤独死するかもしれないという不安を持った人でも、誰かと出会い結婚するかもしれません(もっとも、そのことが幸福であるかもわからないのですが)。

初めから誰とも結婚しないと決めている人であれば、たとえ誰かと出会っても、その人を恋愛対象と見ないでしょうから、その人と恋愛し結婚することはないでしょう。

そうであれば、その人が誰とも出会わないとしても、それは自分で決めていることなので、それを不幸であるとはいえないでしょう。

反対に、結婚し幸福の絶頂にあると思っている人が、ある日パートナーと大喧嘩をして離婚を決心することになるかもしれません。もちろん、そんな事態は起こらないかもしれません。どんな出来事、体験もそれ自体では幸福であるとも不幸であるともいえません。結婚すれば必ず幸福になれるのでも、結婚しなければ必ず不幸になるわけでもないということです。

未来がすべてわかっていたら生きる喜びはない

この先起こる出来事が何かわからないということは不安なものですが、もしもこれから起きることのすべてがわかっていれば、生きる喜びすら感じられません。時には不幸のどん底に沈むような出来事が起こるかもしれませんが、それでも今見たようにそれが必ず不幸であるというわけではないのです。

とはいえ、起こった出来事が不幸であるとは限らないというのは、不幸の渦中にある人にいえることではありません。

私は病気になって仕事を失う経験をしましたが、病気になったおかげで学んだことは多々ありました。その意味で、病気もよい経験になったと今はいえますが、他の人に対しては病気をしてよかったとはいえません。

自分でも病気になったことをなかなか受け入れられない時に、見舞いにやってきた人から、ずっと働き詰めだったのだからゆっくり休んだらいいといわれると嬉しくはありません。