老後のためにどう備えればいいのか。哲学者の岸見一郎さんは「老後には備えないほうがいい。未来がある保証はどこにもなく、思った通りの死に方ができるとは限らない。『終活』に勤しむよりも、今できることに専念してその喜びを享受したほうがいい」という――。
※本稿は、岸見一郎『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
これから先のことは誰にもわからない
「人生100年時代」といっても、長生きできるとは限りません。たしかに平均寿命は延びましたが、それは統計上の話でしかありません。今後、長生きする人が増えていくというのは一般論としては本当だとしても、他ならぬ自分が何歳まで生きることになるかは誰にもわかりません。
そんなに長生きするのかと思うとゾッとするという人もいますが、長生きしたい、したくない以前に、そもそも長生きできるという保証はどこにもないのですから、100歳を前提に人生設計をすることは、私にはあまり意味があるとは思えません。
そうであれば、直近のことであれ、(長生きをするとすればの話ですが)遠い先のことであれ、こないかもしれない未来のことを今、思い煩って恐れたり、不安になったりすることには意味がありません。『老後に備えない生き方』という題名の本を書いたことがあります。もちろん、備えておかなければならないことは多々あります。しかし、老後に備えるために「今」生きることの喜びをふいにしては意味がないと、私は書きました。