ソ連に併合されていた時代にもこの祭典は続いていましたが、それは当局による懐柔かいじゅう政策の側面もあったと見られています。ゴルバチョフ政権下の1988年9月、エストニアの首都タリン郊外の野外音楽堂で開催された祭典では、25万人以上が集まったといわれ、祖国を思う歌を歌い、独立回復を主張しました。

これを機に、三国では音楽集会や独立運動のデモで、盛んに祖国の音楽を歌い、演奏するようになりました。常に歌と共に、平和的に闘ったことにちなんで、バルト三国の独立に至るまでの行動は「歌う革命」とも呼ばれているのです。

超電子立国エストニア

近年、バルト三国で世界的に関心を集めているのが、エストニアのICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)です。

たとえば、インターネット電話サービスのスカイプ(Skype)はエストニアで開発されたものです。

ラトビア・エストニア・リトアニア周辺の地図
写真=iStock.com/200mm
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エストニアは小さな国ですが、世界の中でもトップを行く「電子国家」なのです。15歳以上の全国民と永住者に、本人確認やオンライン認証、電子署名が可能な国民IDカードが配布されています。このIDカードによって、役所で行うような手続きは、ほとんどネット上でできる状態になっているのです。

さらに、国政選挙の電子投票や電子裁判も行われており、「e-エストニア」という国家キャンペーンを張るほど、IT化が進んでいます。日本もデジタル化を進めたいので、自治体や企業がエストニアに視察団を送って、いろいろ学んできています。

ロシアのサイバー攻撃への対抗がきっかけ

エストニアがこのようにICTを発達させたのには理由があります。

かつてエストニアの首都タリンに、エストニアを解放した「ソ連軍の兵士の像」という銅像がありました。だけど、ソ連が崩壊してエストニアが独立したでしょう。エストニア人にしてみれば、ソ連軍による占領の象徴というべき銅像は目障りだったでしょう。