2月24日のロシアによるウクライナ侵攻開始以来、ウクライナの人々はその激しい抵抗ぶりと巧みな情報戦略で世界を驚かせている。池上彰さんは「大きな犠牲を払ってもまったく怯むことなく、団結してロシア軍に抵抗し続けるのは、旧ソ連時代に蹂躙され、筆舌に尽くしがたい悲劇を経験したからだ」という──。(第1回/全2回)
※本稿は、池上彰『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々』(小学館)の一部を再編集したものです。
豊かな国土に恵まれた穀倉地帯を襲った悲劇
2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、現在、ウクライナの民間人にも大きな被害が出ています。
ウクライナは、北はベラルーシ、東はロシア、南は黒海に面し、肥沃な大地があって、農業が盛んです。「欧州の穀倉地帯」といわれ、面積は日本の約1.6倍。
ウクライナの国旗は、上半分が青、下半分が黄色なんです。上の青は青空、下半分の黄色は小麦畑を象徴しています。青空のもと、見渡すかぎり、小麦畑が続いている。これがウクライナの国旗なんですね。
なぜヨーロッパ有数の穀倉地帯なのかというと、その秘密はロシア語で「チェルノーゼム」と呼ばれる黒土にあります。枯草などの有機物を微生物が分解したあとに残る栄養豊富な腐植を多く含む肥えた土壌のことです。
ウクライナには、世界の黒土の約3分の1から4分の1が存在するといわれ、その恩恵によって非常に豊かな農業国になっているのです。
旧ソ連時代の2度の大飢饉
ところが、そのウクライナで、ソ連時代に大飢饉が2度発生しました。
最初は1921~22年にかけてで、この時は深刻な干ばつが原因でした。ソ連政府は餓死者が出るほどの飢餓の状態を隠していましたが、結局、援助を世界に求めざるを得なくなり、それらの支援と翌年の豊作によって飢餓を脱しました。
2度めは1932~33年にかけてで、少なくとも400万人が餓死したといわれるほどの大飢饉でした。1000万人以上が餓死したんじゃないかという研究者もいます。この大飢饉は共産主義政権の悪政がつくり出したものだったのです。
当時、ソ連ではスターリン体制のもと、農業の集団化を進めていました。スターリンはなぜ集団農業という方法を考えて実行したのか?