ウクライナが内戦状態になった

ウクライナの人たちには、スターリンのもとでひどい目にあったという、歴史的な記憶があるわけだよね。だから、ソ連が崩壊して切り離されたら「とにかくロシアは嫌だ、西側のEU諸国と一緒になりたい」という思いを抱く人が多いわけです。

ただし、ウクライナの東部には昔からロシア系住民が住んでいましたし、ソ連時代に移ってきたロシア人も多いのです。ウクライナが独立をし、西側と一緒になりたいとなると、ウクライナの東部にいるロシア系の住民が「ロシアから離れるなんてけしからん」と、こういう対立の構図ができてしまいました。

ウクライナの西側はEUと一緒になりたい親EU派、東側はロシアと一緒になりたいという親ロシア派に分かれて、ここで内戦状態のようなことになったのです。

きっかけは2014年に起きたロシアのクリミア併合でした。

ロシア人と「クリミア半島」の複雑な関係

ウクライナの南部で黒海に面したクリミア半島は、特にロシアにとって保養地として素晴らしいところなのです。温暖で、ロシア人は冬にクリミアへ遊びに行くのがとても楽しみなのです。

クリミア半島は、もともとロシアに属していました。それをスターリンが亡くなったあと、政権のトップに就いたフルシチョフ第一書記が、ロシア領だったクリミアをウクライナにプレゼントしたのです。

スターリンが進めた集団農業で、ウクライナはひどい被害にあったでしょう。ウクライナの人々には反ロシア感情が植えつけられました。フルシチョフはウクライナを懐柔かいじゅうするためにクリミア半島をウクライナに編入したのです。

歴史的にも戦略的にも手放したくない土地

それでも、ソ連時代は、ロシアもウクライナもソ連を構成する共和国でした。クリミア半島がどちらに属していても、同じソ連国内の話です。ところが、ソ連が崩壊して各共和国が独立したので、クリミア半島はウクライナのものになります。

これがロシアには面白くありません。歴史的に見ても、クリミア半島は長い間ロシアに属していました。ヤルタの西に、黒海に面した不凍港のセバストポリがあります。ここはロシアの南下政策の拠点で、要塞ようさいが築かれていました。

かつてクリミア戦争(1853~56年)の際に、ロシア軍5万がセバストポリ要塞を連合軍から守るため、激戦を繰り広げました。ロシアにとって、セバストポリは歴史的にも戦略的にも、手放したくないところなのです。