生産者を痛めつける搾取

生産量が減っても、ウクライナは小麦の大産地ということで、収穫した穀物は農民たちの取り分がなくても、強制的に国に持っていかれました。

池上彰『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々』(小学館)
池上彰『池上彰の世界の見方 東欧・旧ソ連の国々』(小学館)

当時、ウクライナはソ連全体の穀物の27%を生産していましたが、政府調達ノルマは38%だったという報告もあります。

その結果、ウクライナではとてつもない飢饉が広がって、多数の餓死者が出る状態になったのです。食物を隠した者は、人民の財産の窃盗罪で死刑にする法律ができたというから驚きです。

ロシア革命後、ソ連は重工業を重視した政策を進めていました。無理やり先進国の仲間入りを果たして、社会主義がいかに素晴らしいかを世界に示そうとしたのです。

その結果、農村で収穫される穀物は、都市の労働者に与えることが優先され、また機械輸入に必要な外貨獲得のため輸出に回されたのです。ソ連は、ウクライナが飢餓状態だった時も、穀物を外国に輸出し続けていました。

ホロドモールの悲劇

当時のウクライナの写真が残っていますが、餓死者と見られる遺体が通りに置かれたままで、それが日常の風景になってしまったのか、人々がその横を平然と歩いているのです。

あるいは、食べるものがなくなって追い詰められ、人肉食が始まりました。飢え死にした人の肉がマーケットで売られて、それを買って食べる人がいるという、それはそれは悲惨な事態がウクライナで起きたのです。

集団農業政策の失敗のせいで、豊かな穀倉地帯だったところがそんな状態になったわけです。

人為的に引き起こされたこの大飢餓は、ウクライナ語で「ホロドモール」と呼ばれていて、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行ったホロコーストと並ぶ20世紀の悲劇とされています。