資本主義においては、資本家が労働者から搾取している。だから、社会主義革命によって、労働者が資本家に打ち勝たなければならない、と考えたのです。
では、資本家と労働者は何が違うのか? それは「生産手段」を持っているかどうかということです。
資本家は生産手段を持っている。たとえば、工場や機械類ですね、これが生産手段。そして、生産手段を持つことで労働者を雇い、労働者から搾取するという構造になっている。それなら、社会主義革命によって、労働者が資本家から生産手段を取り上げて、自分たちのものにすればいいのだ──。
これがソ連、あるいは、スターリン流の社会主義の考え方です。
スターリンの農民収奪計画
資本家が生産手段を持っていて、労働者は生産手段を一切持っていない。自分たちは労働力しか持っていない。資本主義ではこういう構造になっていると考えた時に、問題は農家です。
農民たちはどうなのか? 農民たちは農地を持っているでしょう。あるいは、さまざまな農機具や家畜を持っていますよね。これは生産手段を持っていることになるわけです。スターリンの考える社会主義体制に農民たちを組み込むには、どうすればいいのか?
そこで、スターリンは、自分の土地を耕して自活していた農民たちから生産手段(農地、農機具、家畜)を取り上げて、集団農場に集めて働かせ、収穫した農産物を国家に納めさせるという方法をとることにしたのです。
そのあと、中国でも、あるいは、北朝鮮でも同じことが行われます。
「農業集団化」で低下し続ける生産性
集団農場入りを強制された農民たちは、自分の家畜を食べてしまうか売ってお金に換えました。この時期にウクライナから家畜の半分が消えたといいます。それは、農民たちのせめてもの抵抗だったのです。
また、比較的豊かな農民は「富農」、貧しい農民は「貧農」に無理やり分け、「富農」はブルジョワで人民の敵であるとされ、収容所に送られたり処刑されたりするなど徹底的に弾圧されました。「貧農」は集団農場の「労働者」にさせられました。農民を、都市の工場労働者と同じように、生産手段を一切持たず、労働力しか持っていない存在にしたのです。
農業は自然が相手です。雨が降ったらどうしようかとか、寒くて霜がおりたらどうしようかということを農民たちは常に考えて、自分の畑に手をかけています。
ところが、熱心に働いてたくさん収穫していた「富農」を絶滅させてしまったので、集団農場で熱心に働く人がいなくなってしまいました。「貧農」はもはや労働者ですから、朝9時から夕方5時まで働いて給料をもらえばいい、ということになり、労働意欲が低下しました。
この農業集団化によって農業生産性がどんどん落ちていきました。