解剖学者の養老孟司さんが『子どもが心配 人として大事な三つの力』(PHP新書)という本を出した。養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る。前後編の特別インタビューをお届けする――。(後編/全2回)(構成=ノンフィクション作家・山田清機)
解剖学者の養老孟司さん
撮影=稲垣徳文
解剖学者の養老孟司さん

このままでは日本人は消えていなくなる

前編から続く)

「児童虐待社会」がどうして出現したかといえば、それは「都市化」と深い関係があります。

都市化とは人間が頭の中で考えたことを外に出して街をつくるということ。「脳化」と言い換えてもいい。僕はいつも「ああすれば、こうなる」というのですが、そういう考えでつくられているのが都市である、ということです。

たとえば、都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている。しかし、自然の中ではそうはいきません。森の中で迷ってしまえば、どこにたどり着くかわからないのです。

ある国なり地域なりが都市化すると、多くの場合、少子化が起こります。先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。

だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっているのです。

実際、丸の内のまん中や新宿副都心の高層ビル街を歩いている子どもなんて、ほとんど見たことがないでしょう。都市にとって、子どもは厄介で邪魔な存在。それゆえに、子どもを産むことを控えたり、産んでも急いで大人にしようと教育したり、管理したりする。こうしたことが少子化の根本的な原因であり、児童虐待社会の実相です。

先日もニュースになっていましたが、日本の出生数は6年連続で過去最少を記録していて、2021年の速報値で約84万人。厚労省が発表している2020年の合計特殊出生率は1.33しかありません。

大ざっぱに言って、ひと世代で半分ぐらいに減っているんだから、このままいけば遠からず日本は消える。日本から物理的に人間がいなくなってしまう日が本当にやってくると、僕は考えています。