日本の農産物は「ブランド」の本質を理解していない

この他にも、糖度の高さや品種の希少性を謳うような、様々なブランド野菜と呼ばれるものが存在します。この場合のブランドとは、単に少し高価な野菜や、文字通り甘くて美味しい野菜などを指していることがほとんどです。

糖度の高さや希少な品種を謳う情報は美味しさを想起させる記号的価値を有しているのは確かですが、その場合、商品価値のほとんどは農作物の美味しさそのものです。これらの情報はイメージよりも、品質という事実に関わるものだからです。

糖度を保証している作物として代表的なものにミカンがありますが、ミカンの「ブランド」には品質の高さや美味しさ以外のイメージを想像させる要素はほとんど存在していません(「西宇和みかん」がCMキャラクターのクレヨンしんちゃんを想像させる、といったことはありそうですが)。

有機農業で栽培された有機野菜なども、自然環境への配慮や安心安全、さらには美容などを想起させる比較的高価な記号的価値を持つ、ある種のブランドとして機能しています。しかし、有機農業運動が発展してきた歴史的経緯から、有機野菜は農家の労働力に比べて割に合わない価格で流通してしまっています。

ブランドについて消費者にとってもっとも重要なのは商品イメージですが、生産者にとってもっとも重要なのは、商品の品質です。商品の確かな品質を保証するためには、商品を作るために要する作業時間は言うに及ばず、機械や材料も揃えなければなりません。高い技能や技術を持った職人はそう簡単に育ちません。生産者の立場で言えば、高級ブランドの価格が高いのには、高いだけの理由があるのです。

例えばイギリスの自動車会社であるマクラーレンは1億円以上もするスーパーカーを販売していますが、このスペックが軽自動車と同じであったら消費者は怒るでしょう。当然、スーパーカーに求められる品質基準は軽自動車の比ではありません。例えばブレーキの性能一つとってみても、時速300キロも出せる超弩級のスペックを持ったスーパーカーのブレーキが、軽自動車と同じであるはずがない。商品当たりの売価を高くしなければ、品質を維持し続けていくことは難しくなる。すなわち、生産するのに高度な技術や手間のかかる商品を製造するためには、相応の売価設定が必要不可欠なのです。

野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)
野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)

しかし、既に語ってきたように、高価な商品を販売するためにはスペックだけではなく、商品に張り付いているイメージが重要です。超高額なマクラーレンが消費の対象となるのは、それを消費して維持することが他者との違いを明確に演出し、証明するためのツールとなるからです。超高額であることこそが、マクラーレンのブランド力の根幹なのです。これは、フランス産ホワイトアスパラガスでも全く同じです。

日本の農作物において、このような価格で販売されている商品がどれほど存在するでしょうか? ブランド野菜などと言っても、この次元まで記号的価値を高められている野菜などほとんどない、というのが私の実感です。そして、商品自体の記号的価値を高められているブランド野菜がないこと、そもそも「ブランド」の本質が充分に理解されていないことは、日本産農産物全体の価値を毀損きそんするような事態にも繫がっているのです。

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