要するに「齒」とは隊列による秩序。たとえ死んでも「齒」の列には並んでいるわけで、まさに生命の連続性であり、先祖供養にも通じる。そのことに気づくことが定年入門だったのかもしれません。

髙橋秀実『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』(ポプラ新書)
髙橋秀実『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』(ポプラ新書)

コロナ禍ということもあり、『定年入門』を読み返しながら人に会ってお話をうかがうということがいかに貴重な体験なのかと痛感しております。取材にご協力いただいた先輩たちの言葉はかけがえのない宝物です。そういえば儒教の大家である孔子はこう言っておりました。

五十にして天命を知る。六十にしてみみしたがふ。七十にして心の欲する所にしたがへども、のりえず。(『論語 新釈漢文大系1』明治書院 昭和35年 以下同)

60歳になったら「耳順」。目ではなく耳なのです。

確かに人生を振り返ると、目で見たものより、耳で聞いたことのほうが深く刻まれているような気がします。見たものは月日とともに変容しますが、聞いたことは「あの一言だけは許せない」「あの一言で救われた」というように記憶に残りますから。

定年は終わりではなく、あらたなスタート

孔子のいう「耳順」とは、「何を聞いてもあらゆることが皆すらすら分かる」ようになること。素直に人の話を聞くことができるということでもあり、「其の言を聞いて微旨びしを解す」、つまり一言を耳にするだけで、微旨(奥深い考え)を読み取れるようになるらしい。

どういうことなのかよくわからなかったのですが、儒教では「礼楽」、つまり音楽を尊重します。音楽とは音を楽しむことで、音とは声であり、それは心の動きから生まれるとされています。

人の話を聞くというのも内容を理解するより、声の調子や口ぶりでその人を感じ取る。音楽として聴くということではないでしょうか。

まるでインタビューの極意を教えられたようで、60歳にしてますます精進すべし、と孔子に背中を押されたようです。やはり定年は終わりではなく、あらたなスタートと考えるしかありません。

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