定年を迎える60歳になったら、人はどうすべきか。ノンフィクション作家の髙橋秀実氏は「論語では『六十にして耳順(じじゅん)』。素直に人の話を聞くべし。一言を耳にするだけで、微旨(奥深い考え)を読み取れるようになるらしい。定年の極意を教えられたようだ」という――。

※本稿は、髙橋秀実『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

人ごみから離れて景色を見る高齢のビジネスマン
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定年のない私が「定年」を感じるワケ

このたび新書版に改訂すべく、ほぼ3年ぶりに『定年入門』を読み返しました。

表記のチェックだけをするつもりだったのですが、思いがけず読みふけってしまいました。自分で書いたはずなのに、登場する皆さんにあらためて出会ったようで、「そうだったんですか」「なるほど」などと感じ入ったのです。

なぜなのかと考えるに、私も59歳になりました。書いたことを忘れてしまうという側面もあるかもしれませんが、おそらく私自身がいよいよ定年を迎えるからでしょう。

もっとも自営業の私に定年はありません。仕事としての定年はないのに、なぜか定年があるような気がする。言ってみれば「定年」というイデアの実在を感じるのです。

そういえば近年、「定年延長」という言葉をよく耳にします。

これまで60歳だった定年を65歳に引き上げる。令和3年に施行される改正高年齢者雇用安定法では、これを70歳まで引き上げるという努力義務が事業者に課せられます。

もともと「定年」を義務づける法律などないのに、引き上げが法制化される。そこまで引き上げるなら、いっそ「定年」を禁止すればよいのに、わざわざ延長する。

そもそも定年とは定まった年のことで、それを延長するというのは矛盾しています。たとえ矛盾していても維持しようとするのは、やはり「超法規的な風習」のゆえんでしょう。

ともあれ、定年のない私でさえ「定年」を感じるわけで、この感覚は果たしてどこからくるのでしょうか。