※本稿は、和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
「面接不合格」が残す心の傷
皆さんもよくご存知のように、どの大学の医学部も非常に難関なので、受かろうと思えば、相当な努力を重ねなくてはいけません。
もしも不合格だった場合、成績開示を確認するなどすれば、何が理由で合格できなかったのかは大体わかります。
そのときに学力テストの点数が足りなくて不合格であれば、もう1年頑張ろうという気にもなるでしょう。
しかし、学力テストの点数は十分足りていたのに面接で落ちたということになれば、「君は医者に向いていない」と人格否定されたようなものですから、その心の傷は計り知れないと思います。小さい頃から医者を目指して本気で頑張ってきた受験生であれば尚更です。下手すると自ら命を絶ってしまうことだってあるかもしれないと、私は本当に心配になります。
そのような想像力が働かないのだとすれば、「人の気持ちがわからない」のはむしろ面接官のほうではないかと言いたくなります。
短時間で医師の適性を見分けられるのか
そもそも、入試面接というのは短ければ5分、長くてもせいぜい30分から1時間程度です。たったこれだけの時間接しただけで、相手の何がわかるというのでしょうか。
私は長く精神科医をやっていますが、患者さんの悩みにも影響する性格や考え方などを理解するのには、長い時間をかけて何回か話を聞く必要があることを常々実感しています。
それを考えると、たった1回か2回、しかも30分〜1時間にも満たないような時間で、その受験生に医者の適性があるかないかを見抜くことなど本来であればできるはずはありません。
ところが、面接官である教授たちは傲慢にも「自分たちにはそれができる」と思い込んでいます。彼らはきっと臨床の現場で初めて会った患者さんたちのことも5分も話せばすべてわかると高を括っているのでしょう。
もしも本気でそう考えているのだとしたら、面接する教授たちはみんなパラノイア(妄想性パーソナリティ障害の一種)を患っているとしか思えません。