合格基準は「教授にとって好ましい」?

公正であるべき入試において、それがたとえ不当な理由であっても、落としたい受験生を簡単に落とすことができる面接というシステムに大きな問題があることは明らかです。極めて短い時間で一人の人間の未来を左右しかねない判断を下すという理不尽さも含め、その是非を問う議論はあって然るべきだと私は思います。

それでも、すべての大学の医学部は、入試面接をやめようとはしません。

なぜでしょうか。

それは、目の前にいる受験生が「自分たち教授にとって」好ましい人物なのかどうか、を自らの目で確認しておきたいからでしょう。

つまり医学部の教授たちは、自分たちの地位を脅かしたり、メンツを潰したりするような異分子となりそうな人物を最初から排除して、自分たちの言うことを素直に聞く学生だけを招き入れるために、わざわざ時間を割いてまで面接を行っているのです。

東大医学部で入試面接が復活した裏事情

そもそも東大医学部で一度はとりやめていた入試面接が復活した本当の理由は、面接なしで入学してきた医学部の学生有志が、教授たちの研究論文の不正や、研究費の流用などを告発する公開質問状を出すという「事件」が起きたからです。

東京大学キャンパスの安田講堂
写真=iStock.com/Carlos Pascual
※写真はイメージです

この事件に懲りて、やっぱり面接をやらなければダメだという話になったというだけで、要するに「ちゃんと面接でチェックしておかないと、面倒なやつが入ってくるぞ」という教授側の都合でしかないのです。そして、その4年後に入試面接は断行されました。

中には文科省がうるさいから形式的に面接をやっているだけだと言っている教授も何人か知っていますが、82もある全国の大学の医学部すべてで面接がなくなる気配さえないのは、異分子はとことん排除するというのが、医療界のトップに君臨する教授たちの基本的な考えだということなのでしょう。

その時点で医学部の教授たちのほとんどは信用するに値しないと私は思います。