ディスコ調であるこの曲は、かわいらしいイメージのデビュー曲『男の子女の子』(72年)とは対照的に、郷ひろみ本来の男としてのカッコよさを本気で引き出した曲です。今では少しカッコ悪い概念にさえなってしまった「二枚目」とか「ハンサム」を、筒美京平は本気を出して表現しました。本来のカッコよさがちゃんと具現化され、「やるときは、やるぜ!」という作曲職人としての気概を感じます。

70年代を顧みると、男の「キザ」という概念がまだ残っていました。沢田研二の『カサブランカ・ダンディ』(79年・作曲は大野克夫)で、男がキザな時代を回顧しながらも、そういう時代が終わることを阿久悠が歌詞に書いています。『恋の弱味』はキザでカッコイイ男を表現した最高峰の名曲と言えます。

近藤真彦はちょいダサで大成功

70年代は、和洋折衷をコンセプトに、最新洋楽の方法論をお茶の間に持ち込んだ筒美京平。オシャレでハイカラとかというイメージから、80年代以降は筒美京平が業界標準になっていきます。

筒美京平が名実ともに音楽シーンのど真ん中に君臨させたのが、近藤真彦のデビュー曲『スニーカーぶる〜す』(80年)。作詞は松本隆で、この筒美・松本ペアは『木綿のハンカチーフ』(75年・太田裕美)でもタッグを組みました。文学的でアーティスティックな曲を作っていた2人が『スニーカーぶる〜す』を作った。差別化を狙ったのではなく、マーケットのど真ん中を行くベタな曲です。これで筒美京平自身も名実ともに音楽シーンの中心に君臨しました。

16歳で歌手デビューしたマッチは、当時からしてもやや古めかしいイメージのアイドルでした。まるで昭和30年代日活映画の石原裕次郎の世界観を持ったアイドルが、80年代に蘇ってきたように。都会的でソフィスティケートされた田原俊彦に対して、古風でトラディショナルな日本男児のマッチ。彼の曲は、歌詞も含めて確信犯的にちょっとダサい世界観をつくっているはずです。

ここから70年代後半は不遇だったジャニーズの黄金時代がスタートします。同時に、筒美京平黄金時代も始まります。マッチだけでなく、田原俊彦『抱きしめてTONIGHT』(88年)、少年隊『仮面舞踏会』(85年)など、多数のジャニーズソングを作っていきます。

キョンキョンの名曲は秋元康が作詞

80年代の音楽界には、若き才能あふれる秋元康という人物が登場しました。筒美京平は秋元康とコンビを組んで、ヒット曲を誕生させていきます。このコンビ一番の名曲は小泉今日子『夜明けのMEW』(86年)でしょう。切ないメロディに乗せられる歌詞がとにかく素晴らしい。秋元康の作品の中では、私はこれが一番好きですね。