「ダメ。ゼッタイ。」と知りつつ、手を出す人の2つのパターン
それにしても、「ダメ。ゼッタイ。」と知っているのに、どうして薬物に手を出してしまうのだろう。私の見るところ、2つのパターンが存在すると考えている。
ひとつ目は、ストレスやプレッシャーのため、つい違法薬物に手を染めてしまうというパターンだ。ミュージシャンがレベルの高い音楽を作り続ける、俳優がすばらしい演技を続ける。これには相当な負荷やプレッシャーがかかることに違いない。薬物依存というと、自堕落な人が陥りやすいように思われるが、実際にはかなりの比率で、まじめな完全主義者が陥るものだ。
完璧・完全でない自分を許せない。すると結果的に自分で自分を強く責めることになり、その苦しさに耐えられず、お酒や違法薬物に頼って、つかの間の現実逃避をする人が出てくる。
ASKA氏の娘さんと私の娘が小学校で同級生だった関係でその人となりが漏れ伝わってきた。それによれば、彼は礼儀正しく、腰も低い、というもので、とても覚せい剤に手を出すように思えない人だった。だが精神科医の立場からいうと、こういう人のほうがかえって危ないということだ。
「海外では合法の国もある。だから悪いものではない」
もうひとつは、ミュージシャンや芸術家というのは、アウトローなものだという考えから、違法なことに憧れ、手を染めてしまうというパターンだ。いかにも幼稚な発想と言わざるをえないが、ちょいワル志向のような形で違法薬物に手を染める人がいる。とくに大麻の場合は、「海外では合法の国もある。だから悪いものではない、国のほうがおかしい」と言い放つ人さえいる。
「球界の番長」と言われた清原氏はその風貌からも、このワル願望が潜在的に強いように見えるが、今年、執行猶予期間が明けて出した手記『薬物依存症』(文藝春秋)では、「野球一筋だった自分が引退によって味わった空虚感から手を出した」などと書いている。そうした元スター選手ならではの心の闇も薬物転落のきっかけとなるのだろう。
今回の伊勢谷氏も、このようなアウトロー志向のワル願望があったのかもしれない。実際のところはわからないが、違法薬物の問題は、プレッシャーからの逃避であるにせよ、ちょいワルのつもりで軽い気持ちで手を出したにせよ、かなりの確率で依存症に陥ってしまうことだ。
いったん依存症状態になってしまうと、それをやっていない時の不快感は、一般の想像をはるかに超えたものになる。そして、自分が捜査機関にマークされていることに気づき、やめようと思っても、やめられない。最終的には逮捕という形になってしまうのだ。