政府は国民の命を守るために、正しい施策を講じているのだろうか。精神科医の和田秀樹氏は「今回の九州豪雨にしろ、新型コロナ対策にしろ、国や自治体は手段に固執することで、目的を見失い、むしろ犠牲者を増やしている」という——。
洪水に押し流される流木
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九州豪雨と新型コロナ対策の共通点

九州を中心に記録的な大雨が発生して、被害は甚大なものとなっている。中でも、熊本県南部では1級河川・球磨川の氾濫により多くの死傷者が出た。

こうした豪雨災害に見舞われた際、「予定されていたダム建設の中止などで治水がきちんとしていなかった」ことが問題にされることがある。

今回もそうだ。熊本県の蒲島郁夫知事は7月5日、「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」「とにかく早く逃げることが大事で、そういうソフト面を大事にした」と記者への質問に答えている。

東京大学法学部教授だった蒲島氏は12年前、川辺川ダムの建設中止を公約にして当選した。

もともと球磨川水系では1966年から治水などの目的で国営の川辺川ダム計画が進められたが、流域市町村はこれに反対。その意向をくんだ蒲島知事は2008年9月に計画反対を表明した。国も中止を表明し、約10年前から国と県、流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが、話が前に進んでいなかった。そのツケが、今回の豪雨で出てしまった。

ただ、私は蒲島知事の考えや判断は悪くなかったと思う。ダムであれ、堤防であれ「それひとつ」に頼りすぎることはむしろ危険なことだからだ。

東京電力・福島第一原子力発電所の廃炉作業をしている人たちのメンタルヘルスのボランティアをしている関係で、数年前、福島のとある海岸沿いを車で走った。

道路の海側に10メートルくらいの頑丈な堤防が立っていた。津波対策は万全に見えたが、その代わり、景観は完全に失われていた。車で走って気づいたことは他にもあった。海岸線の道路から山側に向かう道がほとんどない、ということだ。

仮に堤防を越えるような想定外の津波が来た時に、逃げることができるのか心配になった。この海沿いの道から山側の道に車が殺到すると大渋滞が起こって、逃げ遅れる人が出る可能性が十分あるからだ。

いわき市・久ノ浜海岸
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災害対策が「堤防」に依存しすぎで、あとはお構いなしといった印象さえ持った。人の命を救うことが本来の目的なら、どれかひとつに頼るのでなく、やれることはなるべくやるべきだと痛感したのである。

今回の九州豪雨でも、「ダムか、他の手立てか」どれかを選ぶのではなく、目的(河川近隣住民の命を守る)を達成するために費用対効果を考えながら水害対策を進めるべきだったはずだ。大事なのは「目的」を見失わないことだ。