兵庫県尼崎市にある「塚口サンサン劇場」は、チケット完売を連発させる町の映画館だ。しかし、15年前までは無観客上映が当たり前で、閉館寸前の状態だった。NetflixやPrime Videoで簡単に映画が観られるのに、なぜ観客が集まる劇場になれたのか。仕掛け人である劇場スタッフ・戸村文彦さんに、フリーライター・マーガレット安井さんが迫る――。
塚口サンサン劇場スタッフ 戸村文彦さん
筆者撮影
塚口サンサン劇場スタッフ 戸村文彦さん

無観客上映の毎日から「聖地」へ

阪急塚口駅を出てすぐの場所にある商業施設・塚口さんさんタウン。日常の買い物から雑貨まで揃うショッピングモール内の一角に、塚口サンサン劇場(以下、サンサン劇場)はある。

塚口さんさんタウンの一角にある「塚口サンサン劇場」
筆者撮影
塚口さんさんタウンの一角にある「塚口サンサン劇場」

1953年に塚口劇場として誕生し、1978年の阪急塚口駅周辺開発に伴い、同施設の開業と同時に現在の名称へと改められた。周囲には座席数2000席超の複合映画館(シネコン)も並ぶ中で、同館は484席と決して多くはない。スタッフ約20人で運営されるこの小さな劇場が、他にはない独自性で大きな注目を集めているのだ。

スタッフや観客がステージで踊り、紙吹雪とクラッカーが何キロも消費され、時には法螺貝ほらがいが鳴り響くことも。「マサラ上映」という、観客が主体的に映画に参加するイベントを開催することで、同映画館は全国から客を呼び寄せている。

塚口サンサン劇場「マサラ上映」の様子
写真提供=関西キネマ倶楽部
塚口サンサン劇場「マサラ上映」の様子(配給会社の許可を得て撮影)

その活動はWebやテレビなどでも取り上げられ、昨年には西日本出版社から同館スタッフ・戸村文彦さんの著書『まちの映画館 踊るマサラシネマ』も刊行された。今ではマサラ上映の「聖地」とまで呼ばれるようになったサンサン劇場だが、過去には閉館寸前まで追い込まれた時期もある。

毎日のように空回し(無観客上映)が当たり前で、常にコストカットに頭を悩ませていた。そんな映画館が、どのようにして「聖地」と呼ばれる場所へと変貌を遂げたのか。そのヒントは、戸村さんがこれまで乗り越えてきた数々の試練に隠されていた。

最初の赴任先が水没、映画館がプールに

子どもの頃から映画が好きで、大学時代には映画館でのアルバイトも経験。しかし卒業後は就職氷河期のあおりを受けてフリーターをしていた。ある日、求人情報誌でサンサン劇場の募集を見つけ、現場経験があることから応募。めでたく採用にはなったが、赴任先の映画館は塚口ではなく、神戸・王子公園にあった「西灘劇場」と西脇市にあった「西脇大劇」という2館であった。

「神戸は映画発祥の地で、近くには神戸大学があったので、西灘劇場には学生さんや映画ファンの方がちらほら来てくれたんです。ただ、西脇大劇は田んぼの中にぽつんと建つ、ぱっと見では映画館と気づかれないような場所で、客席もほとんど埋まることがありませんでした」

1990年代後半から2000年代にかけて、シネコンが急増。その影響で町の映画館からは客足が遠のき、閉館に追い込まれる劇場も相次いだ。西脇大劇もご多分に漏れず、閑古鳥が鳴く日々が続いていた。そんな状況に、さらに追い打ちをかける出来事が起こる。

「2004年のことです。夜中にニュースを見ていたら、台風で町が水没している映像が流れて。『大変な状況になっているな』と思いながら眺めていたところ、見覚えのある場所が映ったんです。

そうしたら明け方に『映画館がえらいことになっている!』と連絡があって現地へ向かったんですが、もう別世界でした。西脇大劇の周りが砂の惑星のようになっていて、劇場の扉を開けると、すり鉢状の造りのせいで水が溜まり、館内がプールみたいになっていたんです」