人間には「美徳」と同じだけ「悪徳」の天性がある
人間に美徳もあることを否定するものではないが、それと同じだけ悪徳の天性があることを忘れてはなるまい。鳩のように率直であると同時に、蛇のごとく狡猾でなければこの世は生き抜いていけない。衣食足りて礼節を知るのが道理で、衣食足らざる間は、礼節をさておいても生きることを求めるのが人間の生物的本性である。
実際、世の中をながめまわしてみれば、美しい相利共生関係ではなく、寄生から片利共生関係にいたる、あるいはずるく、あるいはさもしい関係が人間社会の中にもいたるところ展開されていることがわかるだろう。
これを倫理の名において難ずるのは当を得た話ではない。同じ人間同士の間にも、弱者と強者の間には種の異なる動物の間に見られるほどの格差がある。この格差を無視して同じ倫理を強制することはできない。
弱者はむりに背のびをせず、弱者らしく生きることである。ゴマスリもよし、人の足を引っぱるもよし、だますもよし、強者にへばりついて甘い汁を吸うもよし、臆するところなく卑劣に生きればよい。
逆に強者は、腹いっぱいにフジツボをつけてゆうゆうと大海を泳ぎまわっているクジラのように、弱者の甘えと卑劣さを許すべきである。強者たるもの、自分に寄生してくる弱者に目クジラを立てるがごとき心の狭さがあってはならない。強弱なかばするあたりにいる者は、助け合いの精神で、相利共生的生き方を選ぶといったところが妥当ではないだろうか。