疫病が終焉しないのは、都市があるから

病気は寄生者のおごりによる失敗である。巧みな寄生者は、宿主を殺さない程度に甘い汁を吸いつづける。宿主を殺してしまっては、自分も死なざるをえないからである。

病原体微生物は、たびたび猛威をふるって疫病を流行させたことがある。しかし、いかなる疫病もそう長続きするものではない。宿主の死につき合っていれば自分も死ぬ。宿主が死なないうちに、別の宿主のところに移動しようと思っても、周囲の人間がバタバタ倒れて生息密度が低くなっているので、それもできない。ということで、疫病は終焉するのである。病原体微生物による病気は古代からあった。しかし、それが流行病となったのは、人間が都市をつくり、人口密度を増加させ、寄生者が宿主の間を移動しやすい環境をととのえてやったからである。

家畜や農作物の間には、豚コレラ、ニューカレドニア病、イモチ病といった流行病がやたらと発生するが、自然林や自然草原の動植物の間には別に流行病が発生しないのも同じ理由による。家畜や農作物のために人間が作ってやった単一の環境は、病原体微生物にとっても、心地よい環境なのである。

寄生という現象を広義に解釈してみる。すると、人間の自然界における位置も寄生者にすぎないことがわかる。

人間という寄生者は、自然という宿主に寄生しているのであるから、自然を殺さない程度に利用すべきなのである。病原体微生物のように、宿主の生命を破壊するという愚を犯してはならない。宿主を変えようにも変えることができないからである。すでに地球自然は病みつつある。このへんで、毒素の排出を人間がやめないと、元も子もなくなりそうである。

クジラに取りつくフジツボ、カニに乗っかるイソギンチャク

寄生に対して、共生という関係がある。共生にはさまざまのレベルがある。最も理想的な共生関係は、相利共生、あるいは相互扶助と呼ばれる。二種の生物が互いに利益を与えると同時に、利益を受けあっている対等の関係である。共生の中でも、寄生に近いものは片利共生と呼ばれる。片方の生物は利益を得るが、もう一方は別に益も害も受けないという関係である。

現実に展開されている生物間の関係は、それぞれ与えあっている利益と害が微妙で、いちがいに、どれが相利共生、どれが片利共生とは決めかねるものが多い。クジラの皮膚に、フジツボが取りついている。クジラは別にフジツボがあってもなくても変わりはないが、フジツボはクジラにくっついていることによって、移動の便を得ている。移動できれば、新しい餌場を得ることができる。カニの背中についているイソギンチャクがいる。イソギンチャクはそれによって移動の便を得ている。しかし、この場合は、カニも、イソギンチャクによってカムフラージしてもらうという便を得ている。