今なお日本人を魅了し続ける、司馬遼太郎。義弟が在りし日の思い出と司馬作品について語る。
<strong>司馬遼太郎記念館館長 上村洋行</strong>●東大阪生まれ。1967年、同志社大学法学部法律学科卒業後、産経新聞社入社、京都支局配属。京都総局長、編集局次長などを歴任後、退社。現在、司馬遼太郎記念財団専務理事を兼務。
司馬遼太郎記念館館長 上村洋行●東大阪生まれ。1967年、同志社大学法学部法律学科卒業後、産経新聞社入社、京都支局配属。京都総局長、編集局次長などを歴任後、退社。現在、司馬遼太郎記念財団専務理事を兼務。

司馬遼太郎に初めて出会ったのは、私が小学校の高学年のときでした。姉・みどりと結婚するということで、私どもの家に遊びに来たのです。そのときはまだ、新聞記者・福田定一だったわけで、31~32歳でした。

子供ながらに、そのときの印象は強烈に残っています。周りにいる大人とは違う雰囲気がありました。それが第一印象です。

その頃のある日、義兄が家に遊びに来て、「絵を描いたろか」と言うのです。私は義兄に惹かれていたので、即座に「描いて」と答えました。すると義兄はクレパスを使って30分ほどで色紙に絵を描いてくれました。独特の口元をし、没頭している雰囲気でした。

この絵を私は「一枚の絵」と呼んでいます。早暁、つまり夜明けの丘陵に一本の巨木が描かれ、それに月光がワッと当たって、とても神秘的で幻想的。何かを伝えているようなメッセージ性の強い作品です。

この絵は私にとって、とても大事な絵で、義兄の笑顔とともにふっと頭に浮かんでくる。義兄との触れ合いと重なるイメージがあります。

「一枚の絵」は長く額に入れてありました。それを義兄が亡くなったあと、久しぶりに取り出し、裏を返してビックリしました。そこには文字が書いてありました。絵を描いてくれたときに、文章も添えてくれていたのですが、すっかり忘れていました。