今なお日本人を魅了し続ける、司馬遼太郎。義弟が在りし日の思い出と司馬作品について語る。
『坂の上の雲』は、司馬遼太郎が40代の後半ほぼすべてを費やした作品です。昭和43(1968)年4月から47(1972)年8月まで、産経新聞夕刊に連載されました。『坂の上の雲』は、先に挙げた「人間とは」「日本人とは」というテーマが最も際立っている気がします。
司馬遼太郎は学徒出陣で満州の戦車学校にいき、その後日本に戻り本土防衛という任に就いていますので、実戦経験はありません。ただ戦争についてはいろいろ考えたのでしょう。
「なぜこんな愚かな戦争が起きたのか、軍人およびその周りの人たちはどのように考えたのか、遡って明治、江戸、戦国時代にも同じような人間がいたのか、いなかったのか」――そのようにして、日本人とは何かを確かめたかったのでしょう。終戦の年は22歳でした。司馬作品は、そのときの「22歳の自分への手紙である」と言うのです。
この小説は日露戦争にかなりの部分を割いていますが、戦争小説ではありません。「日露戦争までのほぼ30年間という時代は、文化史的に見て特異だ」と言っているのです。その時代の気分を描くことが、作品のテーマです。
正岡子規、秋山好古・真之という松山出身の青年たちが成長していくプロセスの中で、同時にその周りにいる多くの日本人がどういう考えで、どういう気持ちで戦争というものに絡んでいくのか。その人間成長記録であると同時に、戦争を無視してその時代は語れない。戦争の中で日本人がどういう判断力、どういう能力を発揮したのかということでしょう。いろんなメッセージの受けとり方があり、示唆に富んだものがたくさんあると思います。何かを参考にしようと読み解いたときに、また別の違うものがどんどん伝わってくるようにも思います。
なかでも、この小説の主人公たちは「公」と「私」というもののバランスが極めて健全な形だったのではないかと思います。翻って今の時代は「私」が大きく広がってしまい、「公」の精神が抜け落ち、それが多くの社会のひずみを起こしている感じがします。司馬遼太郎は「公」と「私」を常に考えていました。