司馬遼太郎年譜
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司馬遼太郎年譜

明治時代について、司馬遼太郎は「当然、暗い時代でしょう」としています。「しかし、その暗いことだけを考えては、歴史は把握できない」と言うのです。

明治の人は、初めて国民という意識を持った人々です。それまでは藩、身分という旧体制があったわけで、それが一気に国民となったために、徴兵制度もあれば、税金も納めなければいけない。軍事力を拡大するための負担も大きい。しかも強力な官僚国家です。重苦しい雰囲気の時代。だから、暗いことは暗い。

しかし、そこにはある種の高揚がある。その気分を司馬遼太郎は「楽天主義」と表現したのだと、私は思っています。この気分を持った人々が近代化を目指し歩み始めたのです。正岡子規、秋山好古・真之ら、その当時の人々を代表するような性質、性格を持つ人物を通して、明治という時代を初めて立体的に浮上させました。『坂の上の雲』の映像化については、司馬遼太郎は「しないほうがいい」と言い、亡くなった後も、われわれもその考え方を引き継いでいました。なぜ映像化を断ってきたのかというと、小説の世界と映像の世界は別のもの、という考えからです。『坂の上の雲』の中には日露戦争がある。その戦闘場面が映像で続くと、その部分のみが印象を大きく左右する可能性があります。安易な描き方では、誤解や錯覚を生みかねません。

ずいぶん長きにわたってNHKの皆さんや財団の関係者の方々と話をしました。その過程で思ったのは、『坂の上の雲』が執筆された当時に比べて映像文化というものがずいぶん成熟したと思いました。それに技術も、表現力もかつてより進歩しています。また、今ならかろうじて、第二次世界大戦の悲惨さを直接もしくは間接に知っている最後の世代が、NHKのスタッフにも残っているということでした。それらの理由により、今回、映像化を承諾したのです。

自分の道を確認する本として『二十一世紀に生きる君たちへ』がよく取り上げられます。司馬遼太郎が子供たちへ向けて書いた作品ですが、大人によく読まれているというのです。『二十一世紀に生きる君たちへ』の文章を読んでみますと、自分が日頃ずっと接してきた司馬遼太郎そのものとオーバーラップします。この作品は単に言葉を選んで語っているだけではなく、司馬遼太郎の全身が、言葉として表現されて伝わっていくものだからなのだろうと思います。

今は混迷の時代です。この混迷の時代に、どのように自分のスタンスをとればいいのか、どのように道を歩んでいけばいいのか、何も過去を礼賛することはありませんが、幕末・明治の人々の生き方から、何かを参考にし、吸収するのは一つの有力な方法なのではないでしょうか。各々が「公」と「私」というものを深く考えていかない限り、個人も世の中もよくならないだろうと思うのです。

(構成=小澤啓司 撮影=立木義浩/平地 勲)