人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。東芝社長や経団連会長を務めた土光敏夫は、「ミスター合理化」として行財政改革にも辣腕をふるった。ライターの栗下直也さんは「合理化で得た時間とお金の使い方がすごかった」という――。
土光会長が行革で協力要請
写真=共同通信社
土光臨時行政調査会(第2臨調)会長=1981(昭和56)年6月24日、東京・永田町のヒルトンホテル

経団連会長なのに寝室に暖房を設置しなかったワケ

「社員は3倍働け、重役は10倍、オレはもっと働く」

こう豪語し、石川島播磨重工業(現IHI)と東芝を再建し、経団連会長まで務めた土光敏夫。「ミスター合理化」と呼ばれ、戦後日本の高度経済成長を牽引した経営者として名を馳せた人物だ。

彼は経営手腕が多くのビジネス書で語り継がれるだけでなく、意外なB面――「メザシの土光」と呼ばれた徹底的な質素な食生活も知られるが、その倹約ぶりはおそらく皆さんの想像を超えているはずだ。

土光が住んでいた家は、太平洋戦争直前に建てられた3部屋だけの平屋建てだった。石川島播磨重工業社長、東芝社長、そして経団連会長という錚々たる肩書を持ちながらも、50年近くその小さな家に住み続けた。

驚くべきことに、この家には1980年代に入っても応接間以外には暖房設備がなかった。大企業のトップや経団連会長を務めた経済人の自宅の居間や寝室に暖房がないのだ。

「社長を務めた東芝は暖房器具をつくっているんだから、自社製品ぐらい買えよ」と突っ込みたくなるが、土光は冷静に説明する。

「別にケチでそうしていたのではない。家の中と外とで温度差が大きいと、かえってカゼを引きやすい。その点、うちは実に健康的で、ぼくはカゼをほとんど引かない」(『日々に新た わが人生を語る』、PHP研究所)

確かに健康的ではあるが、東京とはいえ冬を暖房なしで乗り切るのは並大抵の苦労ではない。しかし土光は「思想は高く、暮らしは低く」を実践し続けた。