人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。パナソニックの創業者、松下幸之助は「伝説の経営者」として知られる。だが、ライターの栗下直也さんは「実は起業に際して明確なビジネスプランはなかった」という――。
松下幸之助(昭和47年1月7日撮影)
写真=共同通信社
松下幸之助(昭和47年1月7日撮影)

「コツコツ頑張れば報われる」のウソ

ビジネスの世界で成功を収めた人々は、往々にして「努力のおかげ」と語る。確かに、努力なくして成功はないだろう。しかし、2022年のイグノーベル賞で経済学賞を受賞したイタリア・カターニア大学の研究は、私たちの「努力は報われる」という信念に一石を投じた。

この研究は、運と成功の関係を統計学的に分析したものだ。人間の能力、例えばIQは正規分布を示す。つまり、凡人が最も多く、天才や低IQになるほど少なくなる。一方で、個人資産の分布は一部の資産家に大きく偏る。

研究チームは、この2つの現実をもとに大規模な解析を実施。その結果は驚くべきものだった。才能があっても運がない人より、平凡でも運に恵まれた人の方が、経済的成功を収める確率が高かったのである。

この結果は、多くのビジネスパーソンに衝撃を与えた。「コツコツ頑張れば報われる」「努力すれば道は開ける」――私たちは幼い頃からそう教えられてきた。その価値観を根底から覆すような研究結果に、戸惑いを感じる人も少なくないだろう。

松下幸之助が語った「成功の理由」

興味深いことに、日本を代表する経営者の中にも「運が良かった」と公言する人物はいる。パナソニックの創業者・松下幸之助である。

幸之助は、まさに立志伝中の人物として知られる。1894年、地主の家に生まれるも、父親の相場失敗により9歳で奉公に出る。火鉢店、自転車屋、電力会社(現関西電力)での勤務を経て、1917年に23歳で電球ソケットの製造販売会社を創業。これが現在のパナソニックの始まりとなった。

その後の成功は目覚ましく、日本を代表する電機メーカーを築き上げ、長者番付で10回もの首位を記録。まさに日本で最も経済的に成功した人物となる。当然、彼がどのようにして成功したかを知りたい人も多く、彼の著書『道をひらく』は1968年の発売以来、今でも版を重ね、累計発行部数560万部を超える大ベストセラーとなっている。ただ、彼自身は自身の成功を「運が良かった」と強調するのである。(例えば、オーディオブック『私の自叙伝』では彼の肉声を聴くことができ、「私は運が良かった」という言葉を直接耳にすることができる)。

実際、幸之助の半生を丹念にたどると、必ずしも計画的な成功ではなかったことが見えてくる。