不運と幸運はコインの裏表
幸之助は、自身の成功を「運が良かった」と語るが、それは単なる謙遜ではない。彼の真骨頂は、一見するとマイナスな状況をプラスに転換する思考法にあった。
象徴的なエピソードがある。創業間もない1919年頃、大阪市内で自転車での配達中に自動車と衝突。幸之助は数メートル吹き飛ばされ、電車道に転倒する。そこへ電車が接近し、機に直面する。しかし、電車は急ブレーキをかけ、幸之助は九死に一生を得る。
自転車は破損し、商品は散乱したものの、幸之助自身は無傷だった。一見、まさに「運が良かった」エピソードに見える。しかし、当時の大阪市内の自動車登録台数はわずか5台だったとか。ほとんど走っていない自動車に衝突し、死にかけるという状況は、むしろ「極めて運が悪い」と解釈することもできる。それを「運が良かった」と捉えるところに、特異な思考法が表れている。
後年、幸之助は成功の理由を「学歴がなかったからや。家が貧しかったからや。体が弱かったからや」と語った。一般的にはハンディキャップとされる要素を、むしろ成功の要因として解釈し直したのである。
運を味方につける方法
幸之助の思考法の特徴は、「負の状況」を嘆くのではなく、そこから新たな可能性を見出そうとする姿勢にある。
学歴がないからこそ、「常識」にとらわれず、「非常識」なアプローチができた。学がなく、会社勤めが厳しかったから、起業できた。起業しても、体が弱かったからこそ、早くから権限委譲を進め、革新的な経営システムを構築できた。
これは単なるプラス思考とは一線を画す。むしろ、与えられた状況の中で最大限の成果を上げようとする、極めて実践的な思考法だ。
イタリアの研究が示すように、確かに運は成功の重要な要素だろう。しかし、幸之助の事例は、運と努力の関係について、新たな視座を提供してくれる。
それは、「成功するために運を味方につける」という考え方だ。マイナスをプラスに変換する思考法、一見するとネガティブな状況でも、視点を変えることで機会に転換する柔軟性、そして何より、とりあえず動いてみる実行力だ。手数を増やすことが運を呼び込むのだ。
2025年を迎えた今、ビジネスの環境は急速に変化している。AIの台頭、地政学的リスクの増大、気候変動問題など、不確実性は増す一方だ。こうした時代において、「不安だ」「自分は不遇だ」と叫んでも何も始まらない。与えられた状況の中で最善を尽くす。とりあえず、手数を増やす――松下幸之助の思考法は、現代のビジネスパーソンにとって、今なお、重要な示唆を与えてくれるのではないだろうか。
参考文献
松下幸之助『松下幸之助 私の自叙伝』(オーディオブック)NHKサービスセンター
パナソニック「松下幸之助物語」パナソニックホームページ
金子一也「松下幸之助に学ぶ経営」『Business research』2015年3・4月号、一般社団法人企業研究会