明確なビジネスプランはなかった

最大の転機となった起業も、実は消極的な選択だった。松下家では、父母、兄弟が相次いで結核で亡くなっており、本人も病弱だった。血痰が出るようになり「死を覚悟した」というが、奇跡的に回復する。ただ、電力会社では学歴もない中、大きな出世は望めない。身体が弱いので、勤務もどこまで継続できるかもわからない。

そこで選んだのが起業という道だった。しかも、最初はお汁粉屋を始めようとしていた。単にお汁粉が好きだったからという理由だったが、妻に反対されたことで、電気器具の会社を立ち上げた。妻の反対がなければ日本を代表する電機メーカーの創業者ではなく、お汁粉屋の主人になっていたかもしれない。