津波被災地の石碑には「此処より下に家を建てるな」と刻まれていた
スペイン風邪における慰霊碑建立の例は、一心寺だけではない。丹後半島の京都府伊根町にある「丹後大仏(筒川大仏)」も、スペイン風邪の犠牲者を弔うために造立された。丹後大仏は台座を入れると4mの大きさである。
1917(大正7)年、地元の製糸会社の工場従業員116人が東京に慰安旅行し、多くが感染した。京都に戻ってきて発症、42人の工員らが死亡した。それを悼んだ工場長が翌1918(大正8)年に金銅仏を建立した。だが、第2次世界大戦時の金属供出の憂き目に遭い、現在の石仏が2代目として造られた。
この大仏の前では、毎年春にお釈迦様の誕生日を祝う花まつりが実施され、スペイン風邪の悲劇を伝承し続けている。今年は5月29日にも、コロナ終息のための祈願清掃が実施された。
全国を見渡せば、過去の大規模な疫病蔓延や自然災害の際には決まって、石碑が造られている。例えば数千人の犠牲者を出した1933(昭和8)年の昭和三陸大津波の後には、岩手県宮古地区に教訓とするために石碑が造られた。石碑には「此処より下に家を建てるな」と刻まれ、集落の人はその言い伝えを忠実に守ったために、東日本大震災の際の被害は比較的小さかったと言われている。
「感染症は忘れた頃にやってくる。衛生管理には常に気を配れ」
そういう意味では一心寺の慰霊塔や丹後大仏もまた、「感染症は忘れた頃にやってくる。衛生管理には常に気を配れ」ということを後世に伝える「教訓」や「メディア」としての碑でもある。
私の寺の境内も見回してみた。石碑の類いは句碑くらいだが、ふと墓石の存在に気づいた。そして墓誌を見ていると、あることを発見した。1918(大正7)年から3年間に葬儀・納骨された事例が多いのだ。そこで過去の葬儀の記録も見てみた。確かに、この3年間は前後年と比較して、死亡者が多かった。
大正年間の小刹の平均葬儀数は約8件である。だが、大正7年――14件、大正8年――11件、大正9年――20件であった。この数字だけでは確定的なことは言えないが、スペイン風邪の影響が十分考えられる。
そこで、知り合いの全国の寺院10カ寺に、スペイン風邪蔓延時の葬式数をカウントしてもらうべく、調査表を渡して協力を願い出た。すると、興味深い結果が得られた。1918(大正7)〜1920(大正9)年に限っては、多くの寺院で2~3割程度、葬式数が増加していたのだ。