私が、ダライ・ラマの通訳をしたとき

日本だけでなく、世界中で、人々が終わりの見えない不安に悩んでいます。毎日気分が落ち込んで仕方がないという方もいるでしょう。

臨済宗建長寺派・独園寺第15世住職 藤尾聡允氏
臨済宗建長寺派・独園寺第15世住職 藤尾聡允氏

そんな人々の姿を、もし、ブッダが見たとしたら何と声をかけるでしょうか。「頑張れ」とポンと背中を押す? いいえ、そうではありません。

ブッダは励ますことはせず、人々の心に寄り添うでしょう。

「どうぞみなさん頑張りすぎないように。無理をしないで。夜もゆっくり休んでください」と。

ですから、みなさん、頑張る必要はありません。みなさんは今、ここにちゃんと生きている。生きていてくれるだけで、それだけで十分なのです。

日本には四季があります。私たちは、それぞれの季節、それぞれの月に合った過ごし方をします。それと同じように、今は、混乱という時期に合った過ごし方をするべき。こまめに手を洗って、うがいをする。小さなことを積み重ねて、時間が過ぎるのを待ちましょう。

もともと「ブッダ」という言葉は、自分の生き方、生きる道に目覚めた人、という意味を持ちます。ブッダになる道を説いたのが仏教です。仏様のような、穏やかな心を持つ人のそばへいくと、気持ちが安らぎますよね。みんながブッダのようになれば、世の中は幸せへの道が開けます。仏教の教えを守っていくことで、誰でもブッダになれるのです。