「小遣いが減らされた」「子供と一緒に弁当を持たされている」など、大勢のサラリーマンが愚痴をこぼしている。しかし、節約は家庭にとどまらない。どの企業でも、かなりの経費削減が行われている。広告宣伝費や販売促進費など削るものの項目は多岐にわたる。
「削れるものは削る」というスタンスは悪くないし、企業としては当然ともいえる。しかし「何を削るか」「どう削るのか」には細心の注意を払う必要がある。誤った節約の励行は効果を生まないばかりか、逆効果を招く危険があるからだ。
吉川英治の『新書太閤記』のなかに、こんな話がある。
織田信長が木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を炭薪奉行に就かせた。前任者に炭や薪の節約を命じていたものの、信長はその成果に満足しなかったのだ。そこで藤吉郎は、実際に炭や薪を使用している場所をくまなく見て歩いた。確かに若侍や小者たちは炭を冗費していた。しかも、見回りに気づくと咄嗟に火をもみ消し、澄ました顔をする。
「節約を命じているのに冗費し、そのうえ、事実を隠すとは何事か」。普通はこう叱りつけるところ。しかし、藤吉郎はこう言った。「火の気がなくては寒々しい。必要なだけ取りにきて、存分に使ってよろしい」と。
無理な節約を強いられればストレスが生じ、さも節約をしているかのように振る舞い始める。それでは実態が見えてこない。まずはその窮屈さから解放しよう。藤吉郎はそう考えたのだ。
それからしばらくして藤吉郎は気づいた。「若侍や小者たちは、屋内にこもって無駄話に明け暮れている。この悪習を正し、暖を取る暇を与えなければ、炭薪の消費は減るはずだ」。