近代中国の若者たちの精神形成に与えた影響

張愛玲は1920年上海生まれ。李鴻章のひ孫であり、文化的な家庭に育った。香港で学んでいる最中に太平洋戦争がはじまり、日本占領下を生きた。汪精衛(汪兆銘)政権にも参画した対日協力派であった胡蘭成と結婚するが、夫の気持ちは次々と別の愛人に移り、結局その愛は破綻することになる。

だからなのか、彼女が描いた恋愛は、女性の見返りのない愛をテーマにしたものが多いという。3年前に邦訳されたこの短編集は、「沈香屑 第一炉香」、表題の「中国が愛を知ったころ」「同級生」が収められ、当時の上海、香港の風情やインテリ青年、女学生の生活がいまそこにあるかのように馥郁ふくいくとして浮かび上がってくる。

100年前に生まれた中国の才媛はなぜ、報われない愛を執拗に書き続けたのか。近代に目覚めた中国の若者たちは、文学に、恋愛に自我のよりどころを求めた。西洋文学だけでなく『紅楼夢』のような上流階級の生活と恋愛絵巻も、彼らの精神形成に大きな影響を与えた。生まれや家の縛りから解き放たれ、知識や才能がある者に無限の可能性が開かれているように感じたことだろう。

伝統的社会でかたく縛られてきた女性は、とりわけ恋愛を通じて自我を花開かせた。けれども、彼女たちをのみ込んだのはやはり因習であり、またもっと悪いことには人間の身勝手さだった。張愛玲が現代においても愛される本当の理由は、そこに解がないのに愛し続けてしまう女たちの情念ゆえなのかもしれない。

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