3月14日、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」が開業した。地図研究家の今尾恵介氏は「新しい街を開くにあたって駅名は重要だ。たとえば『たまプラーザ』は東急田園都市線の新しい駅名として、五島昇社長がじきじきにと命名した。一方、高輪ゲートウェイはどうだったか」という――。

※本稿は、今尾恵介『駅名学入門』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

開業したJR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅
写真=時事通信フォト
開業したJR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅=2020年3月16日(東京都港区)

悪い予想が大当たり「高輪ゲートウェイ」

ああ、またかと思った。「高輪ゲートウェイ」という新駅名を報道で知っての第一印象である。たぶん高輪ナントカに決まるだろう、しかもそのナントカはカタカナに違いない、という悪い予想は当たった。

今から半世紀近くも前の話だが、小学校の5、6年生だった時に、鉄道が好きだった私は京浜急行の駅名を暗記した。自宅があって頻繁に利用する相模鉄道は自然に覚えていたので、意識的に覚えた最初が京急だったのである。とにかく品川から各駅を順番にズラズラと唱える「遊び」で、品川、北品川、北馬場ばんば、南馬場、青物横丁、鮫洲さめず立会川たちあいがわ……と当時の終点だった三浦海岸まで早口言葉のような按配だ。青物横丁、梅屋敷、雑色ぞうしき追浜おっぱまなどなど引っかかりのある駅名が満載で、今思えば沿線の「地名のごった煮感」を子供心に味わっていたように思う。

蛇足ながら実は本線の当時の起点は泉岳寺せんがくじで、終点も浦賀なのだが、そんなことは知らなかった。ちなみに北馬場と南馬場はその後統合されて新馬場となったが、リズムが崩れるので今も暗誦するなら昔の駅のままで、能見台のうけんだいも旧名の「谷津坂やつざか」である(ローカルな話ですみません)。