全国各地の駅名を暗唱する子供だった
京急の次は東海道本線。そして山陽本線、東北本線と手当たり次第に覚えたのだが、不思議というべきか、当然ながら小学生の頃に覚えたものは今も無意識にスラスラと出てくるのに対して、高校生の時に覚えた伯備線とか高山本線は今ひとつ覚束ない。掛け算の九九を小学生に叩き込む重要性は、この一事だけでもわかる。
それはともかく、子供の頃から駅名に親しみ、駅名から漢字を教えてもらった。なんでこんな読み方をするのか理解に苦しむ駅名も多く、それが地名への興味につながって、結果的に今のような仕事に至っている。講演する際の滑舌の訓練にも駅名暗誦が少しは役立っているかもしれない。
北海道の根室本線など、駅名を口に出していて快感を覚えたものである。上野からずっと唱え続けて青森から青函連絡船に乗っているつもりになり、函館に上陸すればまず息継ぎで少し「停車」して函館本線を北上する。最初から五稜郭、桔梗なんて地方色豊かな駅名が並ぶのでワクワクした。札幌を過ぎて滝川からこの線に入るのだが(当時は石勝線も開通していなかった)、帯広も釧路も過ぎていよいよ終盤に差しかかった厚床、初田牛、別当賀、落石、昆布盛、西和田、花咲、東根室、根室まで。特にアイヌ語由来らしい駅名をひとつひとつ発音しながら、どんな由来があるのか漠然と思いを巡らしたものである(この中に最近になって廃止された駅が2つもある)。
「希望ヶ丘」は全国に30カ所近くある
子供の頃に利用した最寄り駅は相模鉄道の希望ヶ丘駅であった。テレビアニメの「魔法使いサリー」の舞台になったのと同じ希望ヶ丘小学校に通い、3年生の時にさちが丘分校(後のさちが丘小学校)ができたのでそちらへ転校している。いずれも地元の町名なのだが、いかにも高度成長期に新しく開発された住宅地の地名の典型だ。希望ヶ丘(希望が丘)という地名が全国に30カ所近く(通称なども含む)あることを知ったのはずっと後のことである。
中学生からは地形図にのめり込み、珍しい地名、印象深い地名があると大学ノートに書き留める地名マニアだったので、歴史的地名が好きな反面、新奇な「作り物」の地名や駅名を嫌う高校生に育った。ちょうどその頃に開通したのが相鉄いずみ野線で、新駅が発表になって衝撃を受ける。特に緑園都市と弥生台の二駅は地元の地名とは何ら関係がなく(弥生台は弥生式土器が出たことに由来)、いずみ野も古くからの和泉村を継承した和泉町をわざわざひらがな書きして「野」をくっつけたイマ風であった。
この駅名を批判する文章を高校の文芸同好会に出したのが、地名・駅名についての初投稿である。地元の歴史的地名を使わずになぜ「作り物」にするのか、という主張であったが、それから44年経った今も同じようなことを本に書いているのはなかなか感慨深い。