インターネットは情報流通を自由にした。一方、私たちの「考える力」はそれにあわせて高まったのだろうか。新著『遅いインターネット』(幻冬舎)で、「いまのインターネットは、速すぎる」という問題提起をした批評家の宇野常寛さんに聞いた——。(前編/全2回)
宇野常寛さん
撮影=プレジデントオンライン編集部

FacebookやTwitterに反応のタイミングを支配されている

——宇野さんはウェブマガジンに掲げた「遅いインターネット宣言2020」の中で、「いまのインターネットは、速すぎる」と書かれています。いつごろからそう感じていたのでしょうか。

この計画を思いついたのは2年ほど前です。この「遅いインターネット宣言2020」には、「『遅いインターネット』計画とは、このウェブマガジンを中心とする『読む』楽しさを取り戻すためのメディア運営と、少し前から僕が始めている『書く』ことを学ぶワークショップ(PLANETS CLUB)とをあわせた運動」と書きました。

ただ、最初にやろうと思ったのはウェブマガジンのほうだけで、ワークショップのことは考えていませんでした。それが、2年間の試行錯誤の中でただ良質なメディアをつくるだけではいけないんじゃないかと思うようになって、今のかたちに落ち着きました。

いまのインターネットは僕は「速すぎる」と感じています。もちろん、「速さ」はインターネットの最大の武器の「ひとつ」です。しかし、ほんとうにそれだけなのかなという疑問が湧いてきたんですね。

宇野常寛『遅いインターネット』(幻冬舎)
宇野常寛『遅いインターネット』(幻冬舎)

インターネットが僕たちに与えてくれた自由って、物事に対する「距離感と侵入角度」の自由だと思うんですよ。世界中のどこからでも、いつ何時でも自由に情報に接することができる。そして接した情報に、いつ、どのようにリアクションしてもいいはずです。

ところが、今のインターネットはそうなっていない。フェイスブックやツイッターなど、グローバルなプラットフォームにいつの間にか、僕たちは情報技術に対する距離感や進入角度を、そして「速度」を決定されている。その結果、タイムラインの潮目が変わるリズムに、情報摂取や反応のタイミングを支配されてしまっている。そうなると、情報の質はどんどん低くなり、僕たちも考える力を失ってしまう。