擦り切れる前に1度立ち止まる

アトランタ、シドニー、アテネと、出場した五輪ですべて「金」。当時、五輪3連覇は全競技を通じて、アジア人ではただ1人の偉業だった。アテネ後は右膝の前十字靭帯断裂など怪我に苦しんだが、それでも北京、ロンドン五輪への出場を目指して40歳まで現役を続けた。言わずと知れた不屈の柔道家である。

柔道家・オリンピック金メダリスト 野村忠宏氏
柔道家・オリンピック金メダリスト 野村忠宏氏

そんな野村忠宏さんが過去に1度だけ、柔道から「逃げた」。2連覇を成し遂げたシドニー五輪後のこと。柔道に向かうモチベーションがかつてなく落ち込んだ。

「柔道軽量級として初の2連覇という達成感と満足感がある一方で、3連覇に挑戦する勇気が持てませんでした。アテネがある4年後には30歳になっている。瞬発力とスピードが求められる軽量級において30歳で3連覇。それは柔道界の常識では考えられないものでした。中途半端な気持ちでは、とても目指せない」

最強のまま若くして引退するのもアスリートの美学の1つだ。もう十分、闘った。そんな言葉が胸をよぎりながら、口に出せないままシドニー後の8カ月間を休養にあてた。しかし答えは出ない。周囲からは進退を問われる。そんな状況から野村さんは逃げた。身も心も柔道から解放されるためサンフランシスコに留学。語学学校に通いながら、現地の子供たちに柔道を教えた。勝負の厳しさとは無縁の、楽しいばかりの柔道だった。