カミングアウトしていないゲイのメンバーへの配慮

「ビーチに戻る会」の母体となった研修グループには独特のノリと雰囲気があり、それがある種の魔法を生み出していた。でもわたしたちも知らなかったことがある。メンバーのなかに一人、同性愛者がいた。親しい人はそのことを知っていたが、公にはしていなかった。「ビーチに戻る会」は、ゲイの彼にとってありのままの姿でいられる数少ない場所だった。

この集まりにそんな切実な一面があったことを、まったく知らないメンバーもいた。本人だけでなく、彼を大切に思っている人や、ありのままの彼と気楽なひとときを過ごしたい人たちにとって、この会は大事な存在になっていた。また、この会が彼の癒しになっているということが、ほかのメンバーにもそれとなくいい影響を与えていた。

「ビーチに戻る会」は、秘密がバレるのではないか、キャリアの先行きに支障が出るのではないかなどと心配せずに、みんなが安心して「ありのままの自分に戻る会」でもあった。言葉にはしていなかったが、メンバーのなかでは暗黙の了解ができていた。だから会の運営メンバーは、外の人が入れば会の性質がガラリと変わってしまうと判断したのだ。そんなわけで、どんな理由であれ、本人以外の人の参加は望ましくなかった。

「誰を招かないか」で伝わるメッセージ

数年後、ゲイのメンバーは公にカミングアウトして、同性愛者の権利向上に関わる仕事で活躍している。「ビーチに戻る会」の仲間たちは、その彼に安全で自由な居場所を与え、見守り続けていたのだ。当時、わたしは恋人でさえ連れてこられないというのは厳しすぎではと思っていたが、いまになってみると呼ばなくて正解だったとわかる。新しいメンバーを入れれば、それまでの絶対的な安心感が損なわれていたはずだ。外の人を入れなかったからこそ、みんながありのままの姿でひとときを過ごすことができたのだ。

この件を思い返して、はっきりとわかったのは、はじめから明確な目的が掲げられていない集まりは、あとになって誰を入れるか入れないかの問題で揉めることになるということだ。「誰を招かないか」を考えれば、目的があぶり出される。熟慮の上で招待者を限定することで、集まりが特別なものになることも多い。「誰を招かないか」は、この集まりが一体どんな会なのかを参加者に伝えるメッセージにもなるのだ。

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