※本稿は、プリヤ・パーカー著・関美和訳『最高の集い方 記憶に残る体験をデザインする』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
特定の人に「門戸を閉ざす」ことができるか
人を招くのは簡単だ。誰を招かないかを決める方が難しい。わたしは子どもの頃から「人が多く集まれば集まるほど楽しい」と聞かされてきた。しかし、ここではあえて、定説に反論したい。目的に合わせて特定の人に「門戸を閉ざす」ことができるようになったとき、はじめて目的を持った集まりを開けるようになる。
もちろん、わたしも人を排除するのが楽しいわけではないし、目的に合わない人を招いてしまうこともしばしばある。それでも、深く考えて「招かない人」を決めるのは、どんな集まりにも欠かせないポイントだ。「どなたでも歓迎」という態度は、招く側が会合の目的を自覚しておらず、招待客に何を持ち帰ってもらいたいか、ということにも無自覚であることを示している。
以前に自分を招いてくれた人に義理を感じて、招き返すという場合もあるだろう。ただ、いつもそうしているから、というだけのこともある。「マーケティングのチームも呼ばないと。声をかけなかったら恥をかかせてしまう。いつも参加しているのだから」。あとで問題になったら困るので、とりあえず呼んでおこうという場合もあるだろう。大騒ぎしそうな人ならなおさらだ。
ある幹部会議の目的が、創業者のあとを継いで就任した新CEOによる体制を確立することだとしても、創業者が参加したいと言ったらまず断れない。自分とパートナーの両親とのはじめての顔合わせの場に、たまたま泊まりに来ていた叔母が飛び入りさせてもらえると思い込んでいれば、「叔母さんは来ないで」とは言いづらい。
招待すべきでないと思っている人に対して、面と向かって断りにくい場合には、成り行きに任せる方が簡単だし、相手の気分を害さなくてすむ。でも実際には、むしろ招かない方が相手への思いやりである場合もある。そういうことを理解しているのが、集いの達人だ。