代理出席を認めないのは不寛容なのか?
以前、少人数の仲良しグループで一緒にトレーニングをしていた。あるとき、誰をグループに入れるか入れないかで揉めたことがある。わたしたちは週二回、六人で朝早く公園に集まって、トレーナーと一緒に運動していた。困っていることがあればお互いにアドバイスし合ったり、その週の出来事を話したりする、とても充実した時間だった。
あるとき、メンバーのうちの一人が長期旅行に出ることになった。レッスン料はすべて前払いで、返金はされない。旅行中のレッスン料を無駄にしたくないと考えた彼女は、友人に代理出席してもらおうと思いついた。それをメールで伝えられたグループのメンバーは、びっくりしただけでなく、モヤモヤした気持ちになった。でも、その違和感をうまく説明することができなかった。
モヤモヤした原因は、代理出席というやり方がこのグループの目的を損なうことになるからだとみんなも薄々は気づいていたが、ここに問題があった。そもそもみんなで集まる目的を話し合ったことがなかったのだ。メンバーの一人がこう言ったとき、モヤモヤの原因が浮かび上がってきた。「これってただのトレーニングじゃないのよね」。
八方美人的なやり方では誰も満足させられない
そこで、この集まりが何なのかが見えてきた。運動しながら気の置けない友だちと親密な時間を過ごすことが、このグループの暗黙の了解だった。一緒に時間を過ごすことが真の目的であって、トレーニングはただの名目にすぎない。忙しい毎日のなかで、自分たちの選んだ仲間と定期的に安定したつながりを持ちたいから、わたしたちは集まっていたのだった。
このことをメンバーで話し合い、これがグループの目的だということをみんなが認めたとき、代理出席の件をどう扱うかはおのずと見えてきた。そこで、代理は認めないことにした。知らない人が入ると親密さが損なわれるかもしれないし、打ち明け話もしにくくなるからだ。それに、一度しか参加しないかもしれない参加者にいろいろ教えていると、トレーニングの時間も無駄になってしまう。
そんな話をしているうちに、このグループにとっていちばん大切なのは「一緒に時間を過ごすこと」だとわかった。このグループの場合は、知らない人が入ると楽しくなるどころか、むしろ気まずくなってしまうのだ。「どなたでも歓迎」は、一見オープンで寛容な行為だが、安心して心を開いて付き合える仲間を求めてこのグループに参加している人にとっては、決してありがたい行為ではなかった。
とはいえ、「行ってもいいですか」と聞かれて「来ないでください」とはなかなか言いにくい。いろんな忖度が働いてしまう。でも、八方美人的なやり方では誰も満足させることはできない。