令和のPVクイーン
「いま、一番数字が取れる『令和のPV(ページビュー)クイーン』といったら、雅子さまですよ」
とあるウェブ媒体の関係者が苦笑する。購読層の年齢が高めで、比較的保守派の男性、特に「ネトウヨ」と呼ばれる層のアクセスが多いと言われるその媒体で、この春夏もっとも読まれ数字を取り続けたのは、令和の皇后となった雅子さまの活躍を書いた記事だというのだ。
その記事がどういう意図でそんなに読まれるのか、私は不思議に思った。だって、ネトウヨとは保守派で特定の国々に対するヘイトが強く、そもそもプライドが高く、なんなら「女のくせに」くらいのことは心底ではフツーに思っていて、女性政治家やメディアで目立つ女を見た瞬間に自動的に発生する嫌悪感を拭えない男たちというイメージ。雅子さまのように海外育ちでその学歴と経歴を前にしたら黙り込むしかないほど自分よりはるかに優秀で、品も芯もあり、発言にも哲学にも自分らしさを隠せない――ついでに身長まで高い――女なんか、大嫌いじゃないのか?
長かった灰色の時代
平成から令和への移行を見た2019年春夏シーズンは、テレビを点けたってどこのチャンネルでも天皇家祭り、そしてG20大阪サミットで皇后としての象徴外交デビューを果たした、雅子さま祭りだった。
皇太子妃時代の雅子さまは長きにわたって、灰色の時代を過ごされた。自分という人間が理解されない、能力を純粋に評価してもらえない、周囲の人に守ってもらえない。「お世継ぎとなる男子を産めなかった」との謎の価値観によって他の誰かと比較され、何かの合否をジャッジされる。心を病んだと言われてからは、腫れ物に触るような、そしてどこか珍しくて不器用な生き物が弱っているのを陰から見て喜ぶような、そんな残酷な風潮にも晒された。