ヒーローになった雅子さま
ルポライターの鈴木大介さんが、デイリー新潮で「亡き父は晩年なぜ『ネット右翼』になってしまったのか」と題された記事を発表し、話題となった。「元号が変わって間もなく、父がこの世を去った。77歳。」との書き出しで始まるこの記事は、父の遺品PCに残された多数の右傾コンテンツを息子があらためて発掘していく中で、晩節の父がどうしてネット右翼的な思想に濃く染まり、偏向していったのかを考察している。
鈴木さんはその理由が「古き良き美しいニッポンに対する慕情や喪失感」にあったのだと思い至る。晩節の父親が粗製乱造された過激な右傾コンテンツにしがみついて生きたのも、「どうしてこんな事になってしまったのだろう」と喪失感に沈むことより、視野に明確な敵の像を結んで被害者意識をぶちまけさせたほうが、人の快楽原則には忠実だからだ」(同記事より)。
ネトウヨとは、自分たちが現在の辛い思いをしなくて済んだ、要は幼少期の心地良さを「あの時代の日本は良かった」と懐しがり、時代を遡って「きっとあったはずの日本人の正義」を探し求め、そして「それを奪い破壊した犯人」探しをして叩く人々だ。広い視野でバランスに配慮するなどと、自分たちが苦手なことをしなくてよい社会、自分が情報処理しきれないVUCAな(複雑すぎる要因がいくつも絡み合って予測不可能な)現実を突きつけられなくて済む「ここではないどこか」を求めてネットを彷徨う。あてどなく彷徨う人々の常として、彼らはいつもわかりやすいヒーローを求めている。
彼らは次世代の優れた「嫁」を、だからヒーローとして受け入れたのかもしれない。「雅子さまは日本の誇り」。これまでさんざん叩いて潰して人格など無視してきたその手のひらを、自覚のない驚きの軽やかさで、クルリと返すのだ。
もともとの雅子さまファンたちは、「彼女がようやくあるべき姿に戻った」と感じて快哉を叫んだだろう。だがそれと同時に、あのG20で雅子さまの姿はどこか日本人の対外的な「誇り」にぴったりとマッチして、彼女は(ヒロインではなく)ヒーローになったのだ。
写真=ABACA PRESS/時事通信フォト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。