国連が10月29日、日本政府に対して皇室典範の改正を勧告した。そこには「皇位継承における男女平等を保障するため」という指摘が含まれる。なぜ、日本は男系男子に皇位継承を限るようになったのか。古代の女帝史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「かつて日本は皇位継承を男性にも男系にも限定せず、長く在位した上にさまざまな方面で権力を行使した女帝が次々とあらわれた」という――。

女性権力者が見当たらない日本史

9月27日に行われた自民党の総裁選挙では、決選投票の結果、石破茂元幹事長が当選し、高市早苗経済安全保障担当大臣は敗れた。これによって、日本初の女性総理大臣は誕生しなかった。

しかし、ちょうどその1カ月後の10月27日に行われた衆議院議員総選挙で、自民党は単独過半数を割り込み、連立を組む公明党の議席を足しても過半数には満たない状態に追い込まれた。

もしも高市氏が首相になっていたとしたら、女性総理大臣の在位期間はごく短いものに終わっていたかもしれない。そうなれば、次の機会はそう簡単にはめぐってこないだろう。

海外では、女性の大統領や首相が次々と誕生している。サッチャーやメルケルのように、国際政治に多大な影響を与える女性政治家もめずらしくなくなってきた。その点では、日本の政界における女性進出は世界に大きく後れをとっている。

日本の歴史を振り返ってみたときにも、女性の権力者の名前をあげることはかなり難しい。鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻、北条政子は、夫の死後、「あま将軍」として政務の中心にあったというのが唯一の例外ではないだろうか。

飛鳥・奈良時代は女帝の時代だった

しかし、さらに歴史を遡ると、日本にも女性の権力者が次々と誕生した時代があった。それは飛鳥時代から奈良時代にかけてのことで、多くの女性天皇があらわれたのである。

飛鳥時代は592年から710年までだが、33代の推古天皇からはじまって皇極天皇(35代)、斉明天皇(37代)、持統天皇(41代)、元明天皇(43代)が即位した。元明天皇の時代には平城京への遷都が行われた。

続く奈良時代は710年から794年までで、元明天皇の後には、元正天皇(第44代)、孝謙天皇(46代)、称徳天皇(48代)が即位している。

このうち、斉明天皇は皇極天皇の重祚ちょうそ(二度即位すること)で、称徳天皇も孝謙天皇の重祚だった。孝謙天皇は、日本の歴史上唯一の女性皇太子でもあった。

孝謙天皇の肖像画
孝謙天皇の肖像画(写真=三宅幸太郎『歴代尊影』/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

33代の天皇から48代まで、16代の天皇が在位したが、そのうち女性の天皇である女帝は8代を占めている。半分は女性天皇だった。江戸時代にも女帝は生まれるが、飛鳥・奈良時代は、日本史上まれにみる「女帝の時代」だった。

日本は中国から多くのことを学び、制度や文物を取り入れてきた。だが、中国の女帝と言えば、唐の時代の則天武后そくてんぶこうに限られる。他の国でも、これだけ多くの女帝が続けてあらわれた例はめずらしい。