女性人材をまともに伸ばすことのできない国
私は、その頃の「日本世間」の様子こそを、まるで珍種の生き物たちの生態のように眺めていた。あれほどに育ちも良く、教養も実力もあり、どこに出したって恥ずかしくない日本きっての優れた女性人材を「イエの中」に囲い込み、活躍させるどころか国中で病ませて、その姿にどうこう言ってほくそ笑むんだなぁ。政界にも財界にも、象徴に過ぎない「はず」の皇室にさえ、国民が気持ちよく誇れる人材を出せず、目立てば言うことを聞けと潰してしまう。本当に女性人材をまともに伸ばすことのできない風土なんだな。やれやれ、なんの呪いがかかってるんだか……と。
世界ランキングで日本の女性活躍度が低いとかの現実を何度も突きつけられているが、それって要は「日本ってほんとロクに社会の中に女を育てられない国だよねー」と言われているのであり、現実の日本は今となっちゃこの点を真顔で可哀想がられるレベルの国なのだ。
皇室とは1億3千万の日本国民が一方的に知る、擬似的な「遠い親戚」のようなもの。人によっては憧れの対象なのだろうが、私自身は、皇室だからといって盲目的に尊ぶことに健全な批判精神を持つ家庭環境で育ったので、今でもそうだ。皇族も人なり。「そんなお立場に生まれついてしまって、大変だな……」「そんな世界へわざわざ入っていくなんて、それこそ尊い精神の持ち主だな……」と、同情のほうが強いかもしれない。ごくたまにニュースの話題で見ると「お元気そうなご様子で何より」と思うくらいのものだ。
誰もが認める破格の活躍ぶり
そんなふうに、かなりの心理的距離感を持って皇室を捉えている私だが、雅子さまにだけは私なりに特別な共感を寄せた。均等法第1世代にあたる優秀な彼女のキャリア、丁重に断り続けながらも最後は自分に使命を言い聞かせるようにして皇太子妃となった経緯、その後の葛藤。その心情を勝手に想像しながら「頑張れ」と、畏れながらまるで友達かのようにエールを送った。彼女の挫折が悔しかったし、あんなすごい女性をよってたかって挫折させた日本社会はつくづく未熟で哲学がなくて教養レベルが低いものだと、自分の生まれ育った国たる日本に失望した。
ではなんで、そんな社会を維持したがり、なんなら時計を逆回しして過去の栄光(?)をいじいじと弄びたがるネトウヨまでが、今になって時計を先に進ませる雅子さまのありようを受け入れ、その活躍ぶりを読むのか。
G20での雅子さまは有り体に言って、ゴージャスだった。語学力も国際外交力も、どこに出したって恥ずかしくない品格と教養と体格の持ち主である皇后が、もはやプリンセスなんて副次的な立場でなく主役の天皇夫妻として日本の外交の大舞台で堂々と振る舞い、海外の賞賛の声を獲得する。それは、欧米人に比べて「貧相」「貧弱」との印象をどうしたって払拭できない日本人が、政治やら外交の場で初めて「対等にゴージャス」と映る瞬間だったのだ。皇后雅子という存在は、男女にかかわらず日本外交史上「破格」であると、誰もが理解した。