「働かない」という選択もその人の自由

たとえば、一流企業などに勤めていた人たちが会社を定年で辞めたとすると、その人たちは退職金もたっぷりもらえるだろうし、「働いていない不安」を感じることなんてないのかなと思います。でも、同時に、もうあまり仕事もできなくなるようにも感じます。やはりプライドが邪魔するだろうし、どうしても人の目が気になるだろうからです。

「あの人、一流銀行に勤めていたのに、いまはあんなことしてるよ……」

そんな噂を近所の人にされるだろうし、妻にも「あなた、なにやってるのよ」と文句を言われることだってあるかもしれない。そう考えると、ちょっとかわいそう。

でも僕は、「わたしはそんな仕事は絶対しないぞ」と言っているような、プライドの高い年寄りに対しても、別になにも思うところはありません。なぜなら、それはその人の自由だからです。働きたくないなら働かなくていいし、そのために年金を積み立て、貯金もしてきたのでしょうからね。

「働き続ける理由」は何だっていい

他人は他人、自分は自分という考え方なので、世の中の人や情報と、自分とを比較したり、羨ましく思ったりすることはまったくありません。

蛭子能収『死にたくない 一億総終活時代の人生観』(角川新書)

「そうしたければ、そうすればいい」

そんなふうに思うようにしています。

ただ、先に書いたように、年を取っても仕事を続けているとやっぱり健康でいられるし、友だちもできるし、精神的な安心も得られるし、外見もきれいになることにつながったりする。結構、いいことがいっぱいあるんだということはぜひ多くの人に知っておいてもらいたい。

僕のように、「お金、お金!」と色めき立たなくても、たとえば健康のために働いてもいいし、美しいままでいるために働いたっていいじゃないですか。いろいろな世代の人と交流するために働くのも楽しいでしょう。

なにより大切なのは、自分で人生の道を決めることです。

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