芸能生活何十年、ほとんど仕事を断っていない

何十年と芸能活動をしてきても、仕事を断るということはほとんどしてきませんでした。高所恐怖症なので、それをわざわざ狙ってバンジージャンプのオファーが来そうだったときは、「それだけは断る!」と心に決めていましたが、バンジージャンプ以外は『スーパージョッキー』(日本テレビ系列)で何度も熱湯に放り込まれたし、「こんな仕事は嫌だ」とわがままを言ったことはありません。

むしろ、そんな仕事はギャラが少しだけ高めになるので、モチベーションが上がっていたかもしれない。「この仕事が終わればお金が入ってくる」という約束さえあれば、この年齢になっても僕はいつだってがんばれます。

言ってしまえば、僕は「仕事の意味」や「仕事人の誇り」なんかいらないから、現金がほしいだけ。むかしのドラマじゃないけれど、同情するなら、現金がほしいのです。

現金を見ると力がみなぎります。だから、下手なプライドは本当にまったくありません。とにかく、ご飯を食べるために働くこと。仕事をして、お金をもらって、食べて寝るという、人間が社会で生きていく基本をずっとやっているだけなのです。

でも、不思議なことに、そう考えて働いているほうが、仕事がうまく回っていくようです。いちいち余計な指摘をしたり、文句を言ったりしないから現場の進行もスムーズになるし、人間関係も円滑になっていくからかもしれません。

だから、体が動くうちは、もう必死になって稼ぎたい。稼ぐ額が少なくても別に関係ありません。そんなもの誰と比べるわけでもないので、働いて、自分の力で生きていくことさえできればいい。これで、それなりに幸せな人生を送ることができています。

思えば最初からバスに乗っていた

僕が生まれてはじめてした仕事は、高校生のときの「バスの車掌」でした。

むかしのバスは運転手の横に車掌が乗っていて、乗ってきた人から切符を見せてもらったり、切符を持っていない人に売ったり、降りるときに切符をもらって降ろしたりしていたのです。それに加えて、「次は○○町です」「お降りの方はいらっしゃいませんかー?」と車内に告げて、誰かが手をあげたら、「次、ストップ願います」と運転手に告げるという仕事もありました。まだ、降車ボタンがなかった時代でしたからね。

当時アルバイト代をいくらもらったかはもう忘れましたが、1日が終わったらその場でもらえるのがうれしかったことをよく覚えています。ただつらいのは、終点の車庫まで行くと、そこから歩いて帰らなくてはならなかったこと。

家に帰るために、バスで来た道をひたすら歩いて戻る。歩くのはちょっと大変だったけれど、若かったからまだ平気でした。やさしい運転手さんなら、「蛭子くん、よかったら乗っていけよ」と声をかけてくれて、最終バスで途中まで送ってくれる人もいましたね。

思えば、はじめてやった仕事がバスに乗ることで、71歳になったいまも仕事でバスに乗っているのだから、なんだか不思議な感じがします。